【読書】 マーチン・ファン クレフェルト / 補給戦

補給戦を読んだっす[*1]。


4122046904補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)
マーチン・ファン クレフェルト Martin van Creveld 佐藤 佐三郎
中央公論新社 2006-05
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きっかけは切込隊長のこのエントリ。

切込隊長BLOG(ブログ): 年末に読んだ中で面白かった本一覧
復刊もので、昔大学の図書館で読んだような読まないようなって状態だったため購入。戦いは数だぜ兄貴。その数を前に押し込むために必要な補給は数学の塊であって、根性では戦争は勝てないのだという自明のことを繰り返し書いてある。凡将は慎重に情勢を見極めましょう的な。違うか。


三国志が好きというのもあるし(但し、吉川英治…つまり演義)、
アフリカ戦線あたりは、パットン大戦車軍団の印象があったりして、
戦争とは一人の天才によってデザインされるもの…みたいな印象があったのだけど。
つまり、戦術重視的なアレで。


でも、この本読んで、あーそうじゃないと。

要するに、『相手を打ち負かす』という意味合いで言えば、
補給がしっかりして無くても何とかなる(銃を使用するようになる前は特に)けれども、
近代の、大型化、機械化された戦争では補給そのものが戦争の趨勢を左右すると。

食料1つとっても、軍隊が大きくなれば、現地調達=草も生えないだし、
結局は食糧の備蓄、補給ラインおよびシステムの確立が必要になって、
そこまできちんと考え、なおかつ実行段階でも実行された戦争は近代にはない…ってことみたい。


局面的な戦術で劣る凡将であっても、
補給面で天才を出し抜く余地はあるってことか?

ないしは、現地調達もしっかりした上で、『完璧な戦争』をするのは無理ってことか?


なんか、戦争ってヤツがもの凄く面白く見えてくる本だなぁと。
もちろん軍事的な戦争については人の生死も確実に絡むから、戦争って良いねとか、
そういう話ではないけどね。

社会の色んな側面で示唆的かなぁと。


*) 読み終わったのは2月中旬なんだけど、書くの忘れてました…。