左利き。

まぁ親に聞いた話で、僕自身は記憶が無く、
本当にそうだったかはよく分からないんですが、
僕は子供の頃、左利きだったそうです。
(まぁ親がそう言ってるんだからそうだと思いますが)


でも今は右利き。

結局のところ、親戚筋のババア連中祖母(姑)、叔母(小姑)が、
左利きは“矯正”した方が良い、しないとダメだ、としつこく言い続けて、
そうせざるを得なかった…らしい。


成長した今、僕自身は、左利きの人の不便を聞きはするけれども、
それでも矯正されて良かったと思うことは特にないし、
(左利きだった頃の記憶がないんだから当たり前…苦労してたらもっと違っただろうな)
少なくとも子供心では、左利きの方が格好いいのになぁ、と思うことが多かった。
左利きの友達が羨ましかったり。
(そのせいか、右腕を骨折して使えなかった時期、左手で文字を書いたり、
御飯を食べたりするのを嬉々として練習した。授業中、黒板で発表するときも左で書いてた)


芸事においては、利き腕そのものが、『型』に組み込まれているので、
左利きであることで非常に苦労するということはあるかもしれない。
でもそれは、左利きがダメとか、右利きが良いということではなくて、
そういう『型』であると言うだけのこと。
落語の中の、演技だって、『型』のひとつ。当たり前だけど。

ついうっかり左腕を使ってしまったことを責めるのは、
本来的には、左利きであることではなく、『型』の修練が足りないと解釈すべき事柄。
一般的な、利き腕の話に飛躍できる話じゃない。



だいたい、ケツ拭く手が決まってるなんて話は、現代の日本では聞かないし、
(東南アジアでは左手で子供の頭を撫でてはいけないとかあるけど)
大体、僕は、右手で拭いてると思うけど。
なにか、僕もどっちかを矯正しろってことなのか?
暴論に暴論を重ねられてもねぇ。

もし、同じことを、両親が親戚筋に言われてたとしたら、
ホントに心が痛む。



そんなことを、元敏腕プロデューサー、横澤彪氏の以下のコラムを読んで、思い出した。

「発掘!あるある大事典」の後釜として、日曜夜9時からフジテレビで放送されているのが「メントレG」だ。3月までは金曜深夜の30分番組だったけど、4月から日曜のゴールデンに移ってきた。時間も1時間に拡大されたが、まだ時間をもてあましている感じがする。
 

6月27日に掲載された「国分太一くん、箸は右手で持とうよ」という一文に、読者のみなさんから多くのコメントが寄せられた。その中身は「左利きへの差別だ」という批判が多かった。でも、実はオレ自身も、太一君と同じ左利きなんだ。
 


基本的に、父方の親戚筋の殆どは自己中心的で、
虚栄心と金ばかりが目立って、正直大嫌いなので、
そう言う意味でも、この件で思い出したことは、個人的に後味が悪いなぁ。。