恋人には結局、『料理ができること』を求めてるのかも。

『どんな女性が好みですか?』

という質問をされたとして、
真っ先に出てくるのが、『料理が出来る…』となったことは、
これまで一度もない。
自分でも、そのことは大して重要ではないと思っていたし、
ああ、今でもそう思ってはいるのだけど、
結局のところ、相手に、料理が出来る、ないしは、
料理をすることを求めているのかもしれないな、とちょっと思った。


『料理が出来る女性が好みだ』、と言う場合、多くは、
『俺のために料理を作ってくれる』という意味合いなのだけど、
そういう意味では僕はさして望まない。
別に家政婦を雇うわけでもないんだし、
自分が食べたい物くらい、自分で作れる。

でも、料理、というのは、食べること以外にも要素があって、
材料の調達(狩りでも買い物でも良いけど)から、
調理の時間、実際に食事をする雰囲気まで含めた、
多くの、楽しいこと、がある。


以前、面倒だったら俺が作るし、コンビニで買ってきて取り繕わなくて良い、
みたいなことを書いたことがあるのだけど、
今考えてみると、それもあんまり正しくないかも。

食べてくれる人がいることはすごく嬉しいし、
そのために料理を作ることは、喜びなのだけど、
そのことを常に自分一人でやることを考えると、少し面倒に感じる。
一人で作るよりも、一緒に作る方がずっと楽しいし、
自分のアイディアだけじゃなくて、相手のアイディアも見てみたい。

そうして考えると、僕が求めてるのは、
ただ単に手料理を一緒に食べること、ではなくて、
一緒に料理を楽しむ、ということなんだろうな、と。


だから、料理を、ただお腹がふくれるためのものと考える人とは合わないし、
どちらかが、どちらかのためにするもの、と考えることも、
なんだか窮屈に感じる。

仮に、結婚して相手が主婦になって、
自分一人が働いてお金を持ってくる、
そんな生活になったとしたら、
料理を作ってもらうだけの生活になってしまうかもしれないけど、
それでもやっぱりね、興味があるとなしとでは、味の深さに違いがあるなぁと。


だから、
まぁこれからも、
『料理が出来る人が好みです』
とはいわないだろうけど、
でも、一緒に料理を楽しんでくれる人と、一緒にいたいな、と思うわけです。


料理は、それそのものが既に楽しみだと。
思うのです。