残念なメディアたち?

はてなブックマークのコメント欄(100文字)に入りきらなかったので、
少しだけどここに。

痛いニュース(ノ∀`):首切少年Aが弁護士になって悠々自適。ヨットサイトも運営。 という記事を先週ぐらいにたまたま見かけました。1969年にあった少年による殺人事件、その少年がその後弁護士になったということに触れたノンフィクションの書籍「心にナイフをしのばせて」についての記事です。

僕も、この煽り見ました。
別に憤ることも、擁護することもなく、
『って、誰?わからんしなー』
と思ったわけです。
知らないから、別に何の判断も下せないですわ。


で、僕は読もうとは思わなかったんだけど、
naoyaさんがこれを買って、よまはったそうで。
感想…というか、検証を行ってます。

もちろん、公平に言って、
本を読んでいないのにその本への評論を鵜呑みにすることは出来ないわけですが、
マスコミや著名評論家が、脊髄反射してる様を、
生暖かい感じで見ることは出来るわけです。
それはもう、本題が何であったかは関係ない話なので。


そして、この文。

そしてこの「残念」と思った感覚を、ここ最近メディアなどを通じて味わうことが非常に多いのです。

僕も、全く同じことを感じています。

昔は僕にとっても、テレビのニュース番組と、新聞とが、
正しい知識を与えてくれるものでした。

でも今、どうだろう。
新聞やTVでもっともらしく書かれても、
ネットで調べてみると、違ってることが多い。
違ってるって言うか、
大筋正しいけど、都合の悪いところを隠蔽してたり、
意図的に誘導しようとしたり、
そういえばで、右翼系の若者が多少気になったり。


なんていうかなーTVも新聞も、一度に1チャンネルしか持てないわけですよ。
こうだっていっちゃったら、それしかない。
でも、例えばネット上では、必ず、真逆の意見が見受けられる。
もっともらしい論説も、稚拙だが意味のある言葉も、
とにかく混在していて、
情報収集としては三次的だが、取捨の選択は出来る。

鵜呑みにしたい人は、TVや新聞で十分だと思うけれども、
自分で判断したい人にとっては…


TVや新聞が信用できる、出来ないの問題ではなくて、
彼らも、1つのソースでしかないってことだ。

それぞれの組織に隠れて、記者それぞれは実は『匿名』なんだよな。
実名さらしてるような顔してるけど、
社説書いてるのが誰で、どんな思想バックグラウンドかなんてことは、
少なくとも、僕は知らないし。
TV番組のディレクターも、プロデューサーも、
クレジットがあるだけで、根本的に匿名なんだよ。
本名知ることが、実名じゃないでしょ?

それ、信用しろっていわれてもな…


ソースだから、ネットより、新聞やTVの方が正しいこともあるでしょう。
でも、どちらか一方が常に、じゃあない。

僕も含めて多くの人が、新聞やTVは『常に』とおもってきたから、
今の『残念』があるんじゃないかなぁ。

でも、これだけ沢山のソースが世間に溢れてれば、
それぞれの言説が『判断』されても、それはごく自然なことだよね。
残念の次は、普通にスルーされる時代が来るんでしょう。
メディアはそうなっていきたいのかね?