グダグダ言う前に『ゲド戦記』を『読んで』みるか。

宮崎吾朗氏監督の『ゲド戦記』。
宮崎氏が、かの有名な宮崎駿氏のご子息ということもあって、
何かと注目を集めていたわけですが、
いくつかの点で、前評判がえらいことになってますね。

僕自身、例によって、エントリ書いてから、原作と映画を読む(見る)という、
ブロガーとしてあるまじき無責任さなわけですが、
その身軽さから現状を整理しておくと、

・長編の原作(全6巻)を2時間の映画にまとめるのは無理がある
・キャラクターの解釈に一部問題がある
・監督の態度が横柄
という感じになるようですね。

正直、作品自体にはそれほど興味がわかないので、
原作を読むかどうかも微妙ですが(この時点でタイトルに偽りあり)、
監督自身の物言いが、何というか、突き抜けてて、
非常に好奇心をそそられます。

今のところさして実績もないのに、
他の監督を批評する(それも上から見た感じで)っていう態度は、
あーそうだ、映画評論家と同じですね。
まぁ、映画関係者としてはあんまり無い感じです。


で、興味もないのに何でこんなことを書いてるかというと、
RSSをつらつらと読んでたら、Ogawaさんが、こんなエントリを書いてはったからで。
ジブリの「ゲド戦記」を100%愉しむためには、やはり何はなくともまずは原作を読まなくては(ニヤリ)とか思ってしまった。折りよく先月末から2日にかけて高知への出張があり、出張費を抑えるために鉄道(品川?岡山[のぞみ]、岡山?高知[特急南風])を使うことにしていたため、たっぷり時間はあった。何と言っても片道6時間、往復12時間だからね。

おお、そうか。
近々、青春18で旅行に出ようと企画してるので、僕にも時間が大量にある。
旅行の予定をどうしようか、と考える一方で、
その間に読む本も模索している状況。
というわけで、その候補の一つとして、『ゲド戦記』もありだなーと。
(全6巻持ってたら重いんじゃないか…ってのが若干不安だけど)


そういうわけで、『ゲド戦記』にも(少しは)興味がありつつ、
痛々しくて好奇心をそそられる、『宮崎吾朗』という人間にも興味があるので、
より、踏み込んで書けるように、実際に体験してみようと思います。


それはそうと、蛇足的にふと思ったんですけど、
宮崎駿監督のときは、
『ジブリの技術力=監督の技量』と評価されることが多いのに対し、
宮崎吾朗監督に関して言えば、
『ジブリの技術力→監督の技量を補っている』と、
監督とは独立したものとして評価されているのは何でなんでしょうかね?

もし、ストーリー的に無理があるとすればそれは脚本の問題で、
それでも絵的な描写に見るべき所があるのならば、
それはジブリの技術力…ではなくて、
それを選択した監督の感性…ということになるのが普通じゃないのかな、と思いますけどね。

やっぱり、監督の人間性に対する批判、なんでしょうかねぇ。