silence【chenmo】

僕自身の、最近の自分に対する感覚は、

『黙っている。』


サイトは頻繁に更新しているし、
友達にあったり、メールしたり、イベントに行ったり、
行動はいろいろしているけれども、それでもやっぱり僕の印象では、
今、僕は少し黙っている、と思う。


与えられた主題に対して意見を述べるのと、
自分の思うことを率直に述べることとは、
まったく別の精神活動である。

誰かと会い、世間話をして、悩み相談を受け、自分も少し愚痴を言う、
そんなことは、少し誤解を招きそうな言葉で表現すれば、
考えなくたって出来る。


大事なことは自分との間に成立する会話で。
それこそが、自分のベースを形作っているものだし、
それがない会話、
思考回路より反射神経で行うような会話は、
ただ単に、自分をすり減らしているだけだ。


悩みを抱えている人は、その悩みは自分だけのものだ、とよく言う、
僕も言う。
だが、以前から少しずつ言っていることだけれど、
悩むこと自体は、大して問題じゃない。
それ以上に問題なのは、悩むことがないこと、何を悩んで良いのかよく分からないこと。

野生の動物は悩んだりしない。
そんな必要はないし、悩んでいたら命を落としてしまう。
彼らは全てを備えてこの世に生まれてきて、
自分の生命を全うしようとする。
それが彼らの本分だ。

だが、人間は違う、
僕らは、泣くこと以外なにひとつ持たずにこの世に生まれてくる。
そして、生まれてから死ぬまでの間に、全てを獲得しようとする。
僕らの本分は生命を全うしようとすることではない、
なぜなら、自分の役割とはなんなのか、
という悩みを自覚している生物は恐らく他にはいない、
僕らの本分は悩むことにこそ在る。

逆説的に言えば、悩まない人間など、人間ではない。
悩みの内容から逃げることは出来ても、悩むということから逃げることはできない。
僕らは、結果的に、悩むためにこの世に生まれてきている。
そして、悩むことによってのみ、自らを獲得することが出来る。
あなたの悩みは恐らくアナタにしか分からないだろうが、
(安易に、わかると言ってのける他人は大抵ペテン師だ)
悩んでいるのはアナタだけではない。
悩むことに悩む必要はない。


黙っている、とはどういう状態なのか。
今の僕には、自分との間に成立する話題がほとんど、ない。
もちろん悩みはある、どうにかしなくてはいけない、外部的状況もある、
でもそんなことは、自分と自分の間では、極些末なことだ。
自分との間に会話が成立し、
そのことをベースに出来て始めて、
外部との接点を用意することが出来る。

僕は長い間、自分のサイト上でその一部を公開し、
そして恐らく僕自身が一番それを読み返し、咀嚼することで、
他人と会話するときの思いを作り上げてきた。
もし、その過程が無くなったとしたら、
僕は、僕という名前のプログラムになってしまう。
MUTTERは、書いた時期、場所、状況によって、様々な矛盾を来している、
皮肉が趣味の人間なら、論理の矛盾を指摘するのは容易いことだろう、
でも、僕にとってはそれらは全て、悩みの過程であって、結論ではなく、
過去と現在の間に生まれる矛盾は、論理の矛盾ではなく、論理の変移でしかない。
僕には(そして、形は違えど、誰にとっても)、
そういうことは重要だし、
僕はそういうことを理解できない人間にはなりたくはない。
(あらゆる価値観を、硬直させたくない)


僕は、しばらくの間、
意識的に、悩むことを放棄していた。
全てのことは仕方のないことだととらえ、
考えなくてはいけない問題に対しても、経験上、で対処した。
結局の所、それが一番楽だったし、
いつでも楽天的に構えることが出来ていた、が、
得るものは何もなかった。


友達が、サイトを通して悩みを打ち明けていたり、凹んでSOSを出していたり、
サイトの更新を止めてしまったり、閉鎖してしまったり、
逆に突然再開してみたりしても、
今の僕には、言葉がない。

コメントすることはいくらでも出来るし、
僕らしいことを言うことだって、いくらでも出来るけれど、
それはあくまで僕じゃなく、誰が書いたって良いようなことだ。
読む人はそのコメントを、僕らしいと感じ、
僕はその過程を、全く僕ではないと感じる。
そこに、矛盾がある。


何度も書くけれども、問題は、何か悩みを抱えてこういう状況にいる、
というわけではないことなのだ。
悩みがあって、考え込む、
悩みがあって、落ち込んでいる、
それらは、生きている人間として、極めて正常なことだ。
例え、毎日の結論が違っていて、
一見、自分の思考が揺れているようであったとしても、
一つの問題に対して、自分なりに結論を出そうとしている、そのこと自体には、
なんの、揺れもない。
それで、いいんだ。


僕は今、至極黙っている、と思う。
元気づけて貰うこと、飲みに行って笑って話をすること、
格好いいDJをすること、
イベントに行って、音楽を楽しむこと、
そういうことは、非常に、簡単に、実現できてしまう。
明日朝起きて、電話を一本入れれば、
夜になって、そうしようかな、と思いさえすれば、それで実現できる。
でも、今の僕にとって、そんなことは意味のないことだ。
恐らく、何も、感じることが出来ないだろう。


夏は、僕にとって全てであり、非常に好きな季節だ。
にもかかわらず、ここ数年は、いつも、夏前は、こんな有様だ。
僕は…
少し、独りでいた方が良いのかもしれない。
もし可能であるなら、明日から1週間の休みを取り、
自転車で、遠出をしたい。
この年になっても、野宿なんか一向に気にしない。
駅前で、寝袋で寝る、なんて苦にしようもない。

僕は、他の誰かを意識する前に、自分と向き合う必要がある。
他人に対しては、どれだけ寡黙で、冷徹であっても良いだろう、
でも、自分に対しては、常に開いていたいのだ。


だって、
僕らが、常に一緒にいると、言い切れるのは、自分だけなんだぜ?

すこし、そのことを、悩もうかと思う。
夏が来る、前に。