仕事における2005年。

年始セールも無事に。
自分で用意して静岡に帰ってきた年始セール。
正直、諸事情により一部やっつけ仕事だったので、不安だったんですが、
ほとんどの点において僕の予想通りに動いてくれたようで、
かなり一安心。

諸事情に関しては…やはり時間の問題かな。
かなり前からせっついてはいたんですが、まぁ、よくあることで、
企画をやろうということは前々からの決定事項であったにもかかわらず、
企画内容に関しては直前になって決まるという…
いろいろな動きが主に一部の対話とメールで構成されていて、
書類としてまとめられ、回覧されることのない、
そんな中小企業のサガというヤツでしょうか。
決定までの時間が短縮されているという点で
メリットを発揮する部分は多いんだけど、通常業務とはなれているせいか…
実現しようということが技術的にどの程度のものかというスリあわせがないのは
やはりしんどいなぁ。
技術的なことに関しては、たとえミスがあっても誰に責任を追及されるということもなく、
謝罪すれば何のお咎めもなし、というのはある程度楽ではあるけど
僕みたいな人間にとっては少ししんどいところもありつつ。
誰に責任があり、どうしたらよいのか?ということが見えないまま、
粛々と作業が進み、それに追われるってのはあんまりね。
自分ではかなり責任を負ってるつもりでも、会議に出席は求められていなかったり。

しかし、もう今の会社で働いていて長いし、2004年。
ある程度わかってきましたよ。
なんだろう、一般的に『愚痴』、それも仕事の愚痴というヤツは
自分では不満があるけれど、どうしようもできないことっていう類のことだと思う。
まぁ、僕が個人的に書くこと(極めて近い人間が見てるのに個人的かどうか悩むが)の
なかにも、そういう種類のことはあるけれども、
でも、会社としてはあまりに規模が小さく、
一般的なサラリーマンほどは、『どうしようもない状況』ではないんだよね。
結局は、僕がどこまで望んでいくか、ということ。

年初の文章でここまで書いて良いのかという気はするけれど
たとえ、少々言い過ぎたとしても、立場的に僕をすぐに首にするわけには行かないわけで。
(なぜなら他にやるやつはいない)
そして多くのスタッフの中で、おそらく唯一僕だけが、『社長』に対して、
忌憚のない意見を言える立場にあるということ。
性格的なこともあるけど、疑問に思うことはぶつけるし、言いたいことは言う。
そうして解決できる可能性のあることを、愚痴として述べるのは、
いささか後ろ向き過ぎるんではないか?と。

会社に入ったときから気をつけているのは、
他のスタッフに対しては、あまり出過ぎたことを言わないようにしよう、
“ボス“と個人的な(それもかなり近い)知り合いだからといって、
虎の威を借るようなことを言ってはならないし、
『みんなを代表する』なんてひとりで気負って、周りの白けた目を見逃すようでもいけない。
ものを言える立場にいるからこそ、私利私欲は捨てなければならないし、
まぁとはいっても…
いくら報奨金というニンジンがつってあっても
絶対にそのために無遅刻無欠席を狙うなんてことはできない、立派な人間ではない、
ただ、軽蔑されるような人間であってはならない、と。

それは、馬術部のときに痛いほど感じているからね。
僕自身が、抗議としての『サボタージュ』を選択したときでさえ、
それを理解してくれる人間はひとりとしていなかったし、もちろん決定が覆ることもなく、
ただ義務を果たせないダメな人間というレッテルを貼られ、
言うことはただの美辞麗句でおまえは実行できないといわれ、
発言力とモチベーションの低下という、
悪循環に陥っただけだったから。
それではいけない。
自分が悪いときに頭を下げるのは下策だ、
自分が優位に立ったときに頭を下げてこそ、上策となりうるわけで。


いずれにせよ、自分に変えられるものは、たとえ少しずつであっても、変えていかなくちゃならない。
不満を言って『もう辞める』と、辞表をたたきつけるのは簡単なことだが、
それをやっちゃあ、自分が納得できないし、僕だって困る。
はっきり言ってこれまでの人生、交渉能力に関しては、ほぼゼロに等しいが、
それも学んでいかねばならないかな、と思う。
全ては、自分の『利益』のためではなく。
自分が、納得できるような仕事をするにはどうしたら良いか?
それだけ。
それさえ実現してくれるんなら、焦って給料なんか上げてくれなくたって
僕は要求される以上に働いてみせる。


そんなわけで、今年はひとつ戦ってみようかな。
閉塞感を打ち破るには、一度、壊してしまう必要もあるかもしれない。
今まで以上に前を見て。
多くのものを見、感じ、考え、そして行動するのだ。