ちょっと書きすぎた。
長く書き過ぎたせいで、 携帯から見れなくなっちゃった(苦笑) あ、いや、一個一個は見れるんだけど、 書き込み用のCGIからは容量オーバー。 …。 ちょっと考えないとなぁ…
長く書き過ぎたせいで、 携帯から見れなくなっちゃった(苦笑) あ、いや、一個一個は見れるんだけど、 書き込み用のCGIからは容量オーバー。 …。 ちょっと考えないとなぁ…
基本的には楽しんで書いてるんだけど。 書いていて一番の苦痛は これが僕の近況を知るために使われていることだ。 いや、それはそれで間違ってはいない。 多分、友人にも同じようなことを喋ってるだろうし、 それ以上のことを書いている。 それでもやはり、書けば書くほど大きくなる苦痛が存在する。 何度も書いていることだが、 僕にとってmutterというのは僕の中の一部だ、 だが読む人にとってはmutterが必ずしも一部とは限らない、 時には僕そのもの、になる。 落ち込んでいるからブルーな文章ばかり出るわけではないし、 恋愛で悩んでいるから彼女のことばかり書くのでもない、 新しく彼女ができて幸せなときに、 3年前の恋を悲しく書くこともあるだろう、 だから、mutterを読んで得る『今の僕』は、 ただ単純に、読む人の想像でしかないのだ、 mutterに出てこないからと言って、 出てこないことについて考えていない…わけではない、 でも、読み手の意識は僕とは違う。 旧友が僕の消息を知るのにはいいだろう。 よく会う友達が僕の違う面を得るのにもいいかもしれない。 でも、これを大事な判断の要素にされてしまうことがたまにある。 ただ、僕に直接確かめるのが面倒だから、恐いから、というだけで。 もちろん、読み手の責任ではないのだが、 (書いてる段階である程度以上は覚悟すべきことだが) それでも、、そういう無理解が苦痛になることがある。 取るに足らない人間の発言ならば気にしないが、 大切な友人だったりすると、自分の存在意義を疑う。 僕より、mutterの方が僕について詳しいか…
ふう、今帰り。いつも通り、音楽聞いて、飲んで、しゃべって。楽しい時間でした。次回は5/7(FRI)。GWの終わりかな。予定では、ゲスト、シノミヤ。変わらず、楽しくいきましょう。はぁ、眠い。 落ちてる時でも友達は大事だね。ありがとう。戻したくても、俺だけじゃどうにもならないしね。ま、ひび、生きていこう。