Akane

あかね

11月7日、は、妹・茜の誕生日。1978年11月7日生まれだから、今年で22回目の(生まれたときが第1回目だって言うなら23回目の)誕生日を迎えたことになる。2人兄弟、兄と妹。仲のいい兄妹も、仲の良くない兄妹もいると思うが、僕らはどうだったんだろう…大抵において、仲が良かったんじゃないかと思う。だけど、喧嘩を全くしないほど…ということはなかった。それなりに、こういうことについてこの言葉を使っていいものかどうか分からないが、『人並みに』喧嘩もした。
大体が、僕は、喧嘩っ早い性格である。それから、口下手で、口喧嘩なんてはっきり言って勝った試しがない。必然的に手が出てしまう。女・子供に対して手をあげるなんて、最低の男がすることだ、と今は思うけど、しかし、そのころは僕は同じ子供だったし、僕にとって妹は女でもなんでもなくてただの妹だった。だから、喧嘩になって、叩いて泣かせて、怒られた、なんてコトは、きっと1度や2度じゃないと思う(もしかしたら被害者の妹の方は、ちゃんといつ叩かれたか覚えてるのかも知れないが…)。いま考えると、妹に手をあげるなんて、なんて最低でナンセンスなヤツだと思うけど、多分、男なら分かってくれると思うけど、妹はそれはそれで、それなりに生意気であり、『武器』が違っていただけ、でもある。これはそんなに昔じゃない時に、妹から、もう少ししっかりしろ、という趣旨のメールが届いたことがある。一生懸命隠してはいるが、感情的になって書いたのが見え見えのメールだった。もらって読んだ瞬間、当然自分が悪いと言うことには気付きながら、こっちも感情的に反撃しようと思って、メールソフトを開いた。しかし…書こうとしたその時、ふと、気がついてしまった。妹が、これまで、どんな感情を自分に向けていたのか、ということを。
どこかに書いたかも知れないが、僕と妹の育った家庭は、いや両親の名誉のために言うと、彼らには全くそんなことはなかったのだが、今の一般的日本社会からすると、男尊女卑ではないかという色が濃かったように思う。彼女が、小学校に入ったときも、中学に入ったときも、高校に入ったときも、大学に入ったときも、正月も、、、何となく…。いかな僕でも、そのくらいは気付いていたし、でも、どうすることもできなかった。そして、親戚に広がるそういう空気を憎んだ。妹もそうだと思っていた。でも、ずっと気がつかなかったことなのだけど、多分、妹本人も気付いていないことだけど、そういう感情は、システムの中に入ってしまっている『僕』に対しても、『コンプレックス』という形で向けられていたのだ。彼女のメールには、なんでお兄ちゃんばかり、なんで私は。そういう想いが、読み返して心が痛くなるほど、にじんでいたのだった。

『妹』という『他人』について気がついたとき、既に僕らは東京と京都に別れて住んで久しく、それを伝えることはできそうになかった。
そう、妹について、僕は、なんにも知らなかった。
知ることができたときには、僕にその能力が備わっていなかった。
もっと分かってあげたいのに…。


でも、僕らの『兄妹』はまだ、始まったばっかりだ。


とりあえず、
誕生日、おめでとう。


(2000.Nov.7th)