例えば「演繹的な表現」がわからない人たち(その3)

パズルを組み合わせる人たちのイラスト(ビジネス)
その1その2 からの続きです。



さて、表題。


例えば「演繹的な表現」がわからない

表題はコミュニケーションが取れなかった場合の例です。演繹とは論理的推論の1つで、複数の前提から一般的な結論を導く方法です。ミスリードを誘うために使われることもあるので注意が必要ですが、慣れれば便利な手法です。Wikipediaにも載っている有名な例がこれ。

  • 前提1)人は必ず死ぬ
  • 前提2)ソクラテスは人である
  • 結論)ソクラテスは必ず死ぬ

これはとても簡単な例なのでさすがにわからない人はいないと思うけれど、論理的思考能力の劣る人と話すときには、「前提2つを了解していても結論を導き出せるとは限らない」ということを理解した上でコミュニケーションを取る必要があります。よくある会話は、

  • 「前提が正しいのはわかるよね?だったら、結論がこうなるのは自明じゃないの?」
  • 「なんで?」

この「なんで?」への対処が難しい。ソクラテスが必ず死ぬ話ならシンプルだから良いけれど、普通は、前提と結論の間に見えていない(でもみんな了解しているはずの)前提がいくつか隠れています。それらを加味して総合的に結論を出すことが多いのですけど、「なんで?」に対処するためには相手が理解するまでその隠れた前提を探し出してきて提示してあげなくてはいけない。


それぐらいわかって欲しいと思うのだけどそれは傲慢なのかも知れません。伝えたければ、わかっている人の方にわかりやすく説明する義務があります。いやそうなんだけど、そういうのを面倒くさく思うことってないですか。自分1人が誰からも理解してもらえない世界ならその「自分」が完全に悪いと思うけれど、それで伝わるはずの伝達をさらに細かく説明していくことの面倒くささ。そして挙げ句の果てに「話が長い」って言われちゃうんですよね。なんだかなあ。短くしたら伝わらないし、伝わらないと無視するし、きちんと理解出来るように説明してるのにね。そもそも話を聞く気が相手にないのかも知れない。

まあそれは僕の話がそもそも面白くないせいかもしれませんが。


続きます。 → 例えば「演繹的な表現」がわからない人たち(その4)