「生存確認」と情報の消費とコミュニケーションの途絶

かわいい子犬 はてな?
何度か書いたことがあるかも知れないけれど、頻繁にブログ書いていて起きる現象として、「周りに生存確認される」というものがあります。こまめにブログを書いていると、それを読んでいる人はその人が今何をしているか・考えているかがわかるようになります。書いている方もいちいち連絡取る手間が省けるんですけど、でも書いている方は読んでいる人の近況はわからないわけです。当たり前ですけどね。ブログを読んで連絡をくれれば良いけれど、大体の場合、読んでいる人の方は、自分が相手のことをわかるもんだから特に連絡を取る必要を感じず、特に何もしない。その結果、書いている方と読んでいる方とで、互いに対する情報量に差が出来てしまいます。


それがねーなんというか、妙な孤独感を生むんですよね。僕は大概孤独に強い人間だと思いますけど、それでもなんかこう、何年も連絡取ってない友人とか口を揃えて「ブログ読んでるよ」と言ってくるのを聞くに付け、僕は君らのことなんも知らんけどねと思うわけです。しかもそういう友達に限ってインスタの更新年1とか鍵掛けたままフォロー申請しても放置してるとかで、自分だけが情報遮断されてるとこある。そんなに相手のこと知りたいか?というとまあそんなことはないわけで、そんな切実だったらこっちから連絡取ってるでしょうけど、なんかね、そういう温度差みたいなの、あるんですよ。

なので、もし定期的に読んでるブログがあったらたまには何かリアクションして上げると良いんじゃないかなと思います。そりゃまあリアクションしづらい文章ばっかり書いてる人もいて、読むだけで疲れてそっ閉じっていうこともありますし、「病気で倒れました」って言われても「お大事に」以外言うことないってこともあると思うので別に無理にってことじゃないんですけど、ただ知っててもらいたいことは、読んでる方が感じてるほどの親近感を、書いてる方は持ってないってことです。読んだかどうかも知らんし。


創作活動をしている人たちがよくTwitterなんかで言っていることがあって、自分が発表した作品について何か感じることがあったら、いいねするだけRTするだけでもいいから何かしてくれると喜びますと。例え良いなと思ったとしても、流れてきた情報の1つとして消費していったら、それは創作者にとってはゼロでしかしない、でもそこで何かリアクションがあるだけで、それが必ずしもポジティブなものばかりで無かったとしても、それは自分のモチベーションになると。批判されるよりも無視される方がさらにツラい。
(まあ批判もツラいけど)


僕が書いてるブログは、別に創作活動でもなんでもない、どちらかというと記録的側面が強いテキスト群なので、モチベーション維持のためにリアクションが欲しいとは思いませんけど、それでもなんかこう、「ああ、あなたのことよく知ってますよ」みたいなリアクションは正直しんどい。僕が書いていることを読んだところで、僕のことはわからないですよ。それはコミュニケーションではないです。

そうして人のアウトプットを情報として消費することで結果的にコミュニケーションが途絶していくことはあるんですよ、ということです。