Twitterでのフォローについて考え直した

Twitter
フォローって言うのは本来、「その人のツイートを読みたい」という意思表示であろうと思うのですけれど、実際にはその枠を超えて、「仲良くしたい」「自分に興味を持って欲しい」「友達であることを確認したい」みたいな感じで捉えられています。であるからこそ、フォローされて喜び、フォローを外されて嘆く人がいるわけです。単にツイートを購読する/しないであればそんなに一喜一憂することはないわけでね、フォローって言うのはそういうのを含んだ概念であろうな、と思うわけです。まあ今さらですけどね。

で、次に考えることは、フォローというのはなかなか簡単にしたり外したりしづらいということです。もちろん「気にせず好きにすれば良いじゃない」という意見はあろうかと思うのですけど、実際にフォローが減ったことを気にしている人がいるのを見るとね、なかなかそう割り切れない自分もいて。単に自分では「もうツイート読まないかな?」と言うだけなのに、「何か悪いこと書いたかしら……」などと悩ませてしまうのも申し訳ないと。


そして、今はこんな感じで考えています。

  • ツイートを読む → リストに追加する
  • 仲良くなりたい → フォローする

PCではJanetter、iPhoneではTweetATOKを使っている自分にとっては、フォローしているかどうかよりリストに追加しているかどうかが、ツイートを読むかどうかの判断基準になっています。だからツイートを読むだけだったらフォローする必要は無いんですね。ああ、「@」付きツイートが読めないと言うことはありますけど、自分が知らない人に向けた返信ツイートなんて読んでも仕方がないですし。

じゃあどんな人をフォローしているのかといえば、自分に興味を持ってもらえたら嬉しいなあと言う人ですね。それが友達であれ、自分が好きな動画投稿者さんであれ。その人のことが好きだからフォローしているんであって、その人が有名人でツイートを読みたいだけであればフォローする必要は無いわけです。フォローしたところで先方からもフォローしてもらって仲良くなれる…なんてことは起きないわけですからね。


Twitterを始めて6年経過して、なんとなくそんな結論に達しまして、フォローをちょっと整理しました。先方からフォローされていなくて特別な思い入れもない方や、やりとりがなくツイートを通して流されるニュースや更新情報を読むbotについてはリストに入れるだけにして、フォローの数を少し絞りました。どうせ余りたくさんフォローしても読み切れないわけだしね…

「読む」という視点で考えるとそんなところが現実的な帰着かなーと思います。フォローは「読む」とは無関係だと言うね。