「田植え」の会話がとても新鮮だったという話

静岡から京都にやってきて驚いたことの1つに「田植えのために実家に帰るのは絶対」というエピソードがありました。
誰が言ったか忘れちゃいましたけど、滋賀出身の人じゃなかったかなぁ。


静岡県は全体的に平野が少なめで海も近いため稲作に適しているとは言えず、
稲作もあまり盛んではありません(平成22年の水稲収穫量は全国32位)。
そのせいか僕には「田んぼの仕事を手伝う」という心象風景が無く(近所に田んぼありましたけどね)、
「田植えを手伝う」という感覚が全くないので、
「明日なんとか体空かない?」
「実家田植えなんですよ」
「あーそりゃだめだね」
という会話がとても新鮮だったのでした。
そこまで田植えって重要なんだ!


滋賀県は全県的にもまずまずの生産量だし(全国18位)、特に人口が多い湖東で盛んなんですよね。
だから両親や親族が兼業として携わってる人は意外に多くて、
普段の農作業はタッチしていなくても田植えだけは親戚総出で手伝い、
その代わりに秋には新米を送ってもらうみたいな習慣が定着している様子。

僕がやった「田植え」は社会見学でクラス全員で田んぼ1枚とかなので相当ぬるいんですが、
親族で何枚かやるというとそれは1人抜けたときの大変度合いが違うし、1人でも人手は欲しいし、
そもそも来年のご飯のために生活掛かってるんだから大事に決まってるだろうと。
漁師町の漁解禁日とかに雰囲気似てるかも?


いや、、申し訳ない、こうして文字に起こしていても、重要性を全然実感できないのです。
知らないってのはこういうことなんでしょう。
自分の中に「ああ、田植えじゃ仕方がない」っていう言葉が見あたらないんですよね。
面白いなぁ。

稲作が盛んな地方では当たり前すぎる話なんだと思いますけれどもね。