家族や恋人とのことを損得で考えてしまう瞬間が嫌だ

「損得で考えてしまう」というのはつまりこういうようなシチュエーション。

家族に何か頼まれたときに「いつも俺ばっかり頼まれて、たまには俺の頼みも聞いてくれないとフェアじゃない」とか、恋人に何かを頼むのに「この間はアレやってあげたから今日はこれやってもらおう」とかそういうの。

「理屈」としては間違ったことを言ってるわけじゃないんですけど、なんだろうな。自分と相手の仕事量の不公平さとかを、身近な人とのやりとりで考えたくないんですよ。お互いに相手にしてあげることとの動機付けとしての「埋め合わせ」があっても良いけれどもそれは本心ではなくて、なんなら「丸損」だって全然構わないし、ボランティアで良いじゃない。別に代わりに何かをしてもらおうと思って親切にしているわけじゃなくて、そういう打算とかじゃなくて、ただ単純にその人のためにやってあげようと思うだけだから、対価とか考えたくない。


普段はそんなことは全然ないつもりなんですけどね。

でも何らかの理由でイライラしてたり疲れが溜まってたり、心の余裕がないときにふっとそういう考えが心に入ってきて、「このところずっと俺ばっかり働いてるぞ。たまには自分も動いたらいいのに」みたいな思考になったりするんですよね。それは「理屈」としては正しいかもしれない。

でも別に「最近自分ばっかり動いてる」のが恒常的に背負わされた負担というわけではなくてシンプルに「その時だけ」「たまたま」だし、大体「このところずっと俺ばっかり」ということ自体が誤解で、始点をそれよりもうちょっと遡れば、実は前回のバーターで「このところずっと俺ばっかり」なのかもしれないし、一定スパンでの役割分担的な意味合いでの「繰り返し」なのかも知れないし。そんなのぶっちゃけ覚えちゃいないよね。


まぁそんなわけだから、これが仕事とか罰作業とかならともかくとして、少なくとも身近な人とのやりとりで損だの得だと考えても仕方ないし、そんなちっちゃいこと考えずに頼まれたらそれは快くやればいいし、頼みたいときには頼めば良いんじゃないのかと。やあ、目標であってなかなかそんなに自分をコントロールできないんですけどね。大事にしたいと思っています。