Twitter、知らなきゃ知らないで良いじゃんね。どうでもいいよ。

Twitterドラマとか言うのをやってるらしいですね。
まぁ興味全くないんですけど。


んで、「Twitterドラマ」を銘打たれてる割に実情とずれてるってことなのか?単につまらないってことなのか?批判が随分と集まってるらしく、脚本を担当している北川悦吏子さんがぶちギレの様相。

以下、発言。現在は削除されてる見たいですが。





なんでしょうかねー。

僕もそういうところあるんですけど、技術系の人間の性ってヤツでもあるんですよね。なんかやたら教えたがったりするの。人のパソコンの設定をしたがったり、自分が使ってるソフトやサービスを人に押しつけたり、ブラウザを変えさせたり。

単純に親切のつもりであって優越感ではないつもりなんだけど、でも相手から見たらまぁそうだよねっていう話で。僕個人は何となくそんな自分を反省したときがあって(特にきっかけはなかったと思うけど)、それ以来、基本的に放置するようにしました。もちろん「困っても放っておく」という意味じゃなくて、それは大丈夫か見てるんだけど、相談されたり、本当に必要だと思ったりしない限り無理にすすめたりしないし、知らないことを疑問に感じたり「絶対便利!」とか言ったりしないっていう。効率の良い方法が他にあったとしても、困ってないんだったらそのままで良いんだよきっと。



そういうわけなのでまぁ、教えたがりにたかられた北川さんがそんなユーザをうざく思った気持ちはよく解ります。僕は個人的にはTwitterなんかどうでも良いと思ってるし、無くなったら無くなったで不便ではあるけど困らないし、ルールや使い方を知っていようが何だろうが全然構わないと思ってます。公式以外のマナーとかどうでもいい。批判する人や問題提起する人はいて良いし、それを守らない人がいても全然構わない。

でも「だから北川さんに教えたがりのヤツがうざい」と言う話ではなくて、それにわざわざセンシティブに反応してる北川さんがかなり微妙だと思うのですよね。「器械やシステムを使いこなすことが、エライ、と思うのってバカみたい」と書いてますけど、でもさ、それ同じ構造なのよねぇ。「あなた方は気付いてないけど大事なことってこっちってわかってる?」っていう趣旨の発言に上から目線度ゼロかって言うとそんなわけねえだろってことでありまして、住んでる分野が違うだけでやってること同じじゃんって言う。



結局ですね。知らないことを誇るのは人間の性でしょうし、誇られると何か感じる(カチンと来るとか凄いなぁとか)のも人間の性なんじゃないでしょうかね。それに対して「自重しよう」っていう議論は価値のあるものだと思いますが、それを責めても何の価値もないんじゃないかなぁとか思うわけです。なんだかんだ言って結構みんなそんなところで生きてるじゃん。実際の話。「ねぇねぇ、これ知ってる?」的な話、どんだけされてんのっていう話ですよ。それを今Twitterの中に見いだして、ことさらに指摘してる北川さんがなんつうか微妙ですよねという話で、Twitterのユーザーの性質見えたけど自分の周り見えてなくね?っていう。

まぁどうでもいいんですけどね。マジで。