無断リンク禁止のお話

先日来、とあるサイトの方の『サイト利用規則』が、ネット界隈で話題になっており。
別に批判する気も、批判を受け入れる気もないけど、まぁ、とにかく見てたわけです。

で、この手の話は、切り方がえらくたくさんある。
(技術的、文化的、倫理的、心情的、法律的…)
というのは、書き手がどの方向でメタ化していくかで、全く違った話になってしまう。
要は、誰が正しいとか、誰が間違ってるとかじゃなくて、
『違うだけ』なのだけど、

そんな感じで色んな切り方が出そろってきたので、
なにがしか書いておこうかな、と。


とある方ってのは、まぁ、アレなのでリンクしないけど、
リンクしないままで引用させてもらうと、
(別に貼ってもいいけど、面倒なことになると面倒だし。サイト名書いておくから適当に検索してくれ)

このページを見たら直ぐに、システムの管理者はすべてのユーザーがリンクしているページに書かれている文章、リンクに関してのページ管理者の言及などをチェックし、管理者の方針と違うリンクの貼り方をしている場合は、大至急訂正をして下さい。
また、システムの管理者は、無断でリンクされているURL等をすべて削除あるいはブックマークの初期化を行って下さい。
私は、Webサイト及びブログのリンクは、必ずTOPページに貼るのが作成者、執筆者、管理者に対する、利用者としての最低限のマナーであると考えます。 (後略)
(引用元:Yoko’s Blog – サイト運営状況・ネット関連)

だそうです。


最も主張したいことは、

『私が嫌な気分になるから止めて』

ということだと思うんだけど、
その主張を通すために、

『(私の考えるマナーは)利用者の最低限のマナー』
『(私だけじゃなく多くの人が)ダメージを受けている』
『サイト管理者は○○(処罰など)すべき』

などと、いかにも炎上しそうな文章がちりばめられてるんで、
結局、本題はスルーされて、細部をチクチクと突かれていると。
荒れる原因は、ブクマされたからじゃなくて、
こういう文章を書いてアップしてしまうからだと思うけど。
ほっとけば、ホッテントリなんかにならなかったのに。


で、リンクだ何だってのはもう飽きたので、どうでもいいんだけど、

相手に自分の価値観を強制する、ということに関しては、
自省も込めてなにがしか書きたいなぁ、と。


Yokoさんの文章を読んで、
誰かが強制的に何かをすることを批判するのと、
自分が誰かにやり方を強制することとが、
どこでバランスを取れているのが非常に疑問なんですよね。
自分の主張を、世間の定義みたいに言える根拠は何なんだろうと。

単に、無知なだけなのかな。



色んな人が書いている中で、

僕としては、シナ千代さんの、
この何気ないエントリが一番感覚に近くて、かつ納得できた。

なので、マナーの違いというのは異文化の衝突。

で、それをどっちかが押し切るのは難しい。というかあんま意味はない。これをどっちかが説得できるか、というとそれもまた違う。

シナ千代さんはこの中で、
Yokoさんの主張が正しくないと批判することは馬鹿げている、と述べている。



確かに、2つの感覚の差であって、いわば宗教みたいなもんなので、
戦えばどこまででも戦えるし、
気にしないようにすれば、そのままでいることもできる。
不快は不快だけれども、自分と違う人は世の中に大勢いるわけで、
とりあえずそれを認めれば良いだけで。
その上で、それに納得できなければ、黙ってスルーすれば良いだけのこと。

押しかけてって、主張したら当然戦争になるし、
それを荒らしだと思われても仕方がないかなぁとは思う。
(どちらが仕掛けたかはともかく、荒らしを、望まない場所を戦闘地域に巻き込むこと、と考えれば)

要は、同じ世界に住んでる人同士の小競り合いでしかなく、
旗印が何か、程度のこった。
関ヶ原の戦いでどっちが勝ったって、
世界の殆どの人には影響がなかったように。




そもそも、『マナー』が、『正しい』とする根拠は、コレと言ってないわけで。
前も書いたけど、これって、そこにいる人の多数決で決まるんだと思うのね。
道義的なもの、倫理的なものも含めて。

もの凄く、『定義』みたいな感じで、
『利用者としての最低限のマナーである』と書かれてますが、
それが最低限であるかどうかは、あなたが判断することではないのですよ。


いわゆる『ムラ的』というか、なんというか、
かの人は私と共通した価値観があると、盲目的に信じる人というのはいるのだけど、
そういう感覚は、異文化を持つ人(わかりやすい例で言えば、外国人)と接すると、
簡単に崩壊すると言うことが分かる。
自分が持っていた常識は、自分の中だけのことだったんだと。
(んまー思えば、僕も随分恥ずかしい痛い主張をしてきたよなー)



マナーというボールを相手に投げて、
それを相手がどう受け取るかは、投げた人には強制できない、
それは、コミュニケーションが普通に出来る人にとっては、
ごく普通のことだと思うのね。

別に外国に住まなくても、
多くの文化に触れて、多くの人とコミュニケーションを取れば、
すぐに分かることですわ。
自分の主張に相手を沿わせることはできない、とね。
自衛するか、譲歩し合って妥協点を見つける(交渉能力必須)か、
諦めるかのどれかなわけです。

それだけしかない。

んで、それに気づきさえすれば、
つまり、無知から無知の知に歩を進めれば、
身近なものも、そういうことの集合から形作られてるんだってことが分かるし。



言ってみれば、そういうことが行動の本筋なんであって、
マナーの正誤について主張するのは、いってみれば、ただのオマケ。
主張することで届く気になっているだけで、
先ほどの例に戻れば、戦争をしたがってる風に捉えられても仕方がない。

自説の正しさを主張するのは別に構わないと思うけど、
つまり、リンクの正当性を主張するのにW3Cを持ち出すとか(注:例です)、
法律の判例を持ち出すとか、
それは良いけれども、
同じように相手がそれを受け入れるかどうかは、相手次第のことなわけで。

相手が文句を書くのを止めさせようとするのは、
それはつまり戦争行為なわけだが、
自分のマナーを主張することに必ずしも付随しなくてはいけないことではない。
それは、どちらの陣営も同じ。



冷静に考えて、Yokoさんの行動のどこが問題かと言えば、

コミュニケーション能力が未熟であることとか、
祭が好きな人間に燃料を投下することの意味を知らないとか、
やりたいと思っていることと、
自分がやっていることとが、論理的に矛盾している、
そのことに気付いていないとか、そう言うことだよな。


…まぁ別に、どうでもいいけど。

知り合いでもないし。



そういうわけで、僕は黙って文句も言わずに、
ブクマします。よろ。



追記)
やっぱり、ものの見方が少々未熟なのかなぁ、と思います。
この辺読んで。

まー:こちらのサイトの 「database」にあるYoutubeの動画も著作権の触れる気がします。
Yoko:Youtubeは確かGoogleに買収されたので問題は無いかと思うのですが…。
(引用元:Yoko’s Blog 何で日本のレンタルサーバー使うかな/コメント欄)

Googleほどのでかいところがやってるから、正しいに違いない、
という意味だと解釈したのですけど、
(じゃないと、理解できない)
それって何の根拠もなく、
そもそも、法律はGoogleとは別個に存在している訳なので、
その2つを結びつけるのは飛躍以外のなにものでもなく。

著作権法に違反しているかどうかは、
関連する法律と、行政の指針、判例などを参考にして、
是非、ご自分で、判断して下さい。
新聞がこう書いてるからこうに違いない!とかいかにも言いそうで、
凄い怖いです。危うい。

ああ、いいんですよ、未熟でも。
僕だって、今は少しはマシだけど、たいそう未熟ですから。
ただ、それを、知らないとね。