きっかけは、Number668号のScoreCard(コラム)のこの記事。
バレーを長く撮影してきたカメラマンは表彰式でMVPの発表を聞いたとき、シャッターが押せなくなった。「僕はずっとバレーをスポーツだと思って撮影してきたんです。これじゃあ、ショーと同じです」
バレーボール世界選手権女子のMVPは、6位に終わった日本の竹下佳江だった。MVPは記者投票を“参考”に国際バレーボール連盟(FIVB)が決定することになっていた。
主旨をまとめると、
バレー界は、放送局と一緒にイベントを盛り上げようとするあまり、
スポーツそのものを曲げるところにまで踏み込んでいる、
これは、もうスポーツとは言えないのではないか?
というようなことだ。
まぁ確かにね。
ひいきの引き倒しを見ることほど、白けることはない。
それはもちろん、僕の個人的な主観であって、
良いとか悪いとかではないのだけど。
ああ、あらかじめ書いておくと、僕は親Numberです。
でも同時に、Numberは多数のフリーライターが寄稿して構成されていて、
Numberがテーマを決めてはいるけれども、
実際に書かれる内容に関しては、ライターに任されている、
(つまり、Number編集部が指導して内容を決めている分量は少ない)
と言うことも理解しています。
なので、Numberが好きではあっても、
そのライターに対して批判するという視点は持っているつもりですし、
Numberを批判されたこと自体に過敏に反応することはありません。
で。
前述のコラムに対して、反論されている方がいるのですが、
どうもそのエントリがしっくり来なくて、何でかなぁ…と思っていたわけです。
なんか、叩きたいだけ叩いてる、というふうにしかとれませんでした。冒頭の部分で触れている「カメラマン」の「僕はずっとバレーをスポーツだと思って撮影してきたんです。これじゃあ、ショーと同じです」というのは、おそらくこの人のこの記事のことだと思われますが、「TBSがバレーボールをプロレスのようなショーにした」というのはちょっと違うのでは…。(後編)
なぜ、これに違和感を感じたのだろうか…と考えると、
このエントリが、コラムが書こうとしたことの『本質』を、
捉えられていないからなんだろうなと思う。
例えば、この一文。
このパラグラフを読めば「ひょっとして、フジの回し者か?」とすら感じます。
そう言うことではなくて、フジもTBSも同じ放送局であって、
どちらが関与しても同じようにはなりうる、
と言うような視点の方が強いと思う。
そもそも、
『現代のスポーツイベントはテレビを無視して成立しない』
『視聴率がほしいテレビの演出はどんどんエスカレートする』
と言うことから考えられる、コラムの主旨は、
そうした放送局の姿勢を前提とした上で、
バレー界は、バレーをきちんと見せられるように、
スポーツとしてのラインは守るべきだ、
と言うようなことを言ってるんだろうと思う。
要するに、だ。
放送局が視聴率を欲しがるのは、当然…というかむしろ本分だ。
そうした姿勢を批判しているわけではない。
それを、バレーの広報のために利用するのは仕方のないことだし、
ある程度、それで衆目を集めることは必要ではあるけれども、
それが、スポーツそのものを変えるようなものでいいのか?
そこまで放送局に踏み込ませるバレー界は正しいのか?
そういうことを言っているのだろう。
竹下がMVPをもらったことが、
放送局の演出なのかどうなのか…なんてことは、
記事としてはただのきっかけで、些末なことに過ぎない。
そもそも、演出を否定してもいないから、
反論エントリの前半部分と、Numberコラムとでは、
話が噛み合っていない。
そこじゃないんだって。
アイドルが歌うことだってそう。
それ自体を批判してるわけでは全然無い。
よく読んでもらいたい。
どこにも特別ルールが良くないなんて書いてないだろう?
それらは、放送局による演出を例示しているに過ぎない。
言いたいことは、アイドルが歌うのには反対だ、ということではなく、
要は、MVPが第6位の日本の選手なんておかしいんじゃないか?ということだ。
竹下のMVPに疑問を呈することが、
アイドルが歌うことに疑問を呈することと同義ではないのだ。
なぜなら、後者は完全に盛り上げるための演出だからだ。
それはいい。
しかし、前者は、最も素晴らしいプレーをした選手は誰か?と言う栄誉を、
演出のために貶めたように見える、
他の国の選手は、第6位の選手に劣ったというのか?
そういう敬意を損なう評価に対して、疑問を呈している。
それは、バレー協会が決めることが出来るわけだから、
仮に、放送局が要求したとしても(そうは誰も書いていないし言っていない)
きちんと評価することが出来るんじゃないのか?
そう言うことを書いている。
そもそも、そういう演出の差が解らない人がいること自体が、
文化としてのレベルの低さを示している。
NFLの演出なんか、もっと凄いよ。
あんなものじゃない。
いまからプレーするフィールドの上に、
特設ライブ会場を作るなんて何考えてるんだ、と言う声もあるかもしれない。
芝が荒れるだろう、と。
でも、盛り上げるために必要だからそれをやる。
しかも、放送局の都合で、タイムアウトが取られることも、普通にある。
だけど、だ。
スポーツの中身に対しては、手を出さない。
栄誉を受けるのは、常に素晴らしい選手だ。
それが例え、アメリカ国民でなくても、関係がない。
素晴らしい人をたたえることが、スポーツという視点で見たときの、
最も上質な『演出』だからだ。
何度も言うように、放送局にはその論理はないかもしれない。
でも、バレー協会には、あってしかるべしじゃないのか?
その文化を骨の髄まで染み込ませた人が作る組織だろう?
恐らく、僕は、スポーツという文化的な視点で、
このコラムを見ることが出来るけれども、
反論エントリの方は、純TV的視点でしか、
スポーツを見られないのだろう。
僕は好きではないけれども、演出過多な放送も僕は否定しない。
必要だし、楽しいと思う。
ただ、スポーツである根本の部分を冒すのは、
それはもう、スポーツではない。
どうしてそれがわからないのだろう。
コメントありがとうございます。>こばだいさん
> もうかなり前のブログ(?)へのコメントになってどうでもいい事かもしれないけど、
いえいえ、書いて残してる事実は変わりませんし、
もし僕の考えが変化していたとしてもコメントいただくことで、
それを表明する機会を得ますから、気になさらないでください。
> バレーボールで行われてる演出と、NFLで行われる演出を同列で考えるのはどうかと思います。
おっしゃりたいことは理解できます。プロとアマチュア、ですね?
もっといえば、プロはエンターテイメントありきだから中身が違うと。
おっしゃるとおりなのですが、んーと、僕の文章を読み返して考えると、
同じ文章内で書いてはいますが、同列に見てるつもりはないようです。
百歩譲ってエンターテイメントを志向したいなら、
それくらいやれよという意味じゃないでしょうかね?
少なくとも今現在の僕はそう考えます。
僕はある程度、スポーツの競技以外への演出に関しては『妥協』していて、
NFLは演出を施した上でなおかつ、スポーツ競技そのものも守っているぞ、と。
僕の文脈におけるバレーW杯とNFLの関係はそんな感じになっていると思います。
演出に対して妥協できないという方から見れば、
それも許されないことなのだと思いますが、
NFLが登場する上の段落を読むに大会存続のためにある程度は仕方がないと言うのが、
僕のバレーW杯と演出に対する立場です。
そしてさらに言うと、
同じ演出でも競技そのもの(ルール変更や大会既定など)に対する演出は、
なされるべきではないと言う立場です。
ですから、
> W杯・オリンピックなどの国際大会であのような演出がなされている(開催国がやりたい放題の)スポーツはありますか?
この指摘に同意しつつも競技そのもの以外の演出は成り立つと考えています。
サッカーW杯の開会式では派手な演出が行われることがありますよ。(ソース)
オリンピックも同様です。国威発揚に利用された大会は、枚挙のいとまがないでしょう。
試合時間が放映に合わせて変更されることも頻繁にありますし(それは開催国の収入に繋がります)、
大きな意味で言えば、演出はいくらでもあります。
僕は書けていませんが、こばだいさんのご指摘を吸収しつつ考えると、
僕が主張したいことは、演出とスポーツの線引きのことなのだろうと思うのです。
例えばNFLをプロだからと言う理由で拒絶することや、
集客が必要だからと真似ることは、どちらも適切とは言えません。
もちろん、理想はスポーツだけ見たいんですけどね…
それを本当にやったら競技がなくなっちゃいますから…
スーパーボウルなどは、生放送のために試合が止められることもあって、
それはちょっとやりすぎだろうと思いますが、
エンターテイメント性(=運営と大会そのものの継続)と、
スポーツとしての中身の両立を目指すのであれば、
少しは学ぶべき点があるのではないかと考えます。
元の文章がもともと前提を省略しがちな上、
書いてから時間も経っているので、細部において矛盾点もあるかもしれませんが、
そのような点については元の文章をこの追記で上書きして下さい。
てな感じでどうでしょう。