器こそが自分の姿であることを 認めようとしない自分も自分であり ナニゴトも吸収できることを 入れて出すだけと理解することも自分であり 自分はこうだ、と示したその内容も自分であるならば そう示そうとする自分も自分であり…
自分を巡る堂々巡り。