決めつけて喋られるのはしんどい

パズルが組み合わさらない人たちのイラスト
知り合いのバーに久しぶりに飲みに出掛けたのだけど、なぜかわからないけど、マスターの中で僕が不健康キャラになっていて、こってりラーメン大好き、体に悪そうな食べもの大好き、みたいな視点で散々喋られて若干うんざり。彼女の人の健康キャラとの対比でそういう色を付けた方がわかりやすいんだろうし、酔ってたっぽいから仕方ないけど、でも俺そんなんじゃ全然ないんだよな。それがまさに自分とぴったりならいいけど、身に覚えのないことを決めつけられるのは本当に嫌い。
あんまり不快だから、途中で帰ろうかと思ったくらい。



確かに僕が好きな三条珍遊のラーメンは豚骨醤油だけど、いわゆる白濁してねっとりしたやつではないし、背脂が大量に入ってるとか、味がむちゃくちゃ濃いとか塩っぱいとかいうのでもない。いわゆる普通の京都ラーメン。次郎インスパイア系とか、天下一品系とか好きじゃないし、新福菜館の醤油ラーメンみたいに塩辛いのも好きではないし、味噌ラーメンだってものによっては濃すぎて塩辛いし、だしだって濃ければ濃いほど良いわけじゃないし、僕みたいな味覚は濃いとはいわないわけですよ。どう考えても。

そもそも僕1ヶ月に1回食べるか食べないかくらいなんですよ。ラーメン。その僕をこってり味好きとか不健康キャラとかにしたいんだったら、まず、週1とか3日に1回とか毎日とか食べてる人間をまずそこに置くべきであって、僕をそこに置かれても。仮にその場が盛り上がるためにそのキャラを演じることになったとしても、そもそもそういうんじゃないから喋れることは全くない。そんで、何か反論して場が白けたら俺のせいみたいな空気出すのやめろ。知らん。


話のとっかかりとして、「君ってこういう人だよね」という決めつけを持って始める手法ってのは確かにあると思うんですよ。それはいわゆる話の枕であり、それを相手がYesと言えばその線で話を続けるし、相手がNoと言えばどこがNoなのか話を聞きながら前提を調整して話を転がしていく。それがコミュニケーションであってだな、「ぼくのかんがえるスズキイッペイ」を散々聞かされるのは不快極まりないです。そういうのは俺のいないところでやってくれ。

昔から僕は何を考えているかわからない部分が多いらしく、子供の頃から周りに決めつけられることが多いです。マジメだからとか、怖いからとか、冷静だからとか、正直言って大体は線を外していて、そういう人に対しては人を見る目があるか知らんけど俺のことは全然わかんないんだなと思って適当に接し、ごくわずかにいる、そういうことは言わずにきちんと僕そのものを見てわかってくれる人とだけ深く付き合ってきました。それが僕の防衛手段だし、そのルールに抵触する人は遠ざけることになります。


昨日の出来事は酒の席の話とは言え、とても残念でした。嫌な経験だったな。