俺は俺であることを、やめない。

#sky #イマソラ 滋賀県超涼しい。京都はやっぱり異常だ


この1ヶ月くらい、青春まっただ中の大学生と飲みに行ったり遊びに行ったりしていろいろと考えることがあったのです。特に、自分にないものを20歳そこそこで持っていたり、考えていたりすることに触れてみて、ああ、自分も変えていかないといけないんじゃないかなんて触発されたりね。

わかりやすくて卑近な例で言えば、例えば、男で車の免許持ってないのってどうなんだろうね、とかさ。もっとくだらないことも、真面目なことも。もっと下世話な話で言えば、例えば女の子たちのいう「格好いい人たち」に自分が該当してなかったとする。そうかー男としてもっとこうならなければって考えたり。

今の自分が考えないようなことを、今の若者が考えているというのは、別に僕が何らかの理由で劣っているということではなくて、多くの場合は時代背景の違い。僕が若者だった頃は、そういうことを考えるべき環境がなかった。僕らはもっと他のことを考えていて、それを考えなくて良くなった世界で、今の若者は別のことや僕らの世代が考えていたことを下敷きにその先のことを考えている。ただそれだけのこと。

そういうことは、理屈としてはよく解っているのだけど、なんかね、ちょっと気にしてしまっていたのよね。夏の夜、暑くて寝苦しくて、しかもお酒が入って熟睡出来ない、そんな日が続くと少し鬱っぽくなるっていう話もあるし、僕もそんなことだったのかも知れないけれど、夏ってことで少し密に若者たちと接する機会があってなんかそんなことを考えてた。自分はもっと変わらなくちゃいけないのではないか?今の自分はダメなんじゃないか?


一通りそういうことを考え、若者たちのことを考え、自分が考えてきたことを考えた上で、最終的に思い至ったことは、自分は自分らしく生きるしかない。若者たちが「理想の40歳」について語ったとする。自分はこうありたい、こうあるべきなのにそうでない人はどうだ、など。その理想が自分とかけ離れていても、そのことについて「俺はダメだなあ」などと考える必要は無い、なぜなら、彼らの語る40歳は、20年後の未来のことだから。20年後に、彼らが40歳になってみて、それが正しかったかどうかがわかるようなことだし、そもそも、僕とは違う世界の話。

もちろん、車の免許については、今すぐにでも克服しておいた方が良いとは思うんだけどもね……それくらいは、頑張って取ってみようかな。お金さえ揃えばね。そして上手く予定が取れればね。スムースに行っても60単位必要で、それを9ヶ月以内にしなければいけないわけで……大丈夫かな。ま、「いつか」といってたらいつまでも取れない話なので、2016-17の一番大きな目標にそれ、設定しよう。そのためにはかなり節約しないといけないけどね。


ただ、なんというか、そういう自由な意志決定も含めて、俺は俺であることを最優先にする。それが俺らしいし、それが無かったら多分、俺は俺じゃない。俺じゃない生き方は、僕には出来ない。それでそれを評価されないのであれば、それは、その人には僕が解ってもらえないと言うだけのこと。そういう人に対する、適切な言葉は1つ、「しらねーよ」。


40歳とは、「不惑の歳」というけれど40歳を過ぎたらこういう青臭さある思いは抱かなくなっていくんだろうか。惑わないというのは、そういうことなんだろうけど、僕自身を見ている限りでは、40歳を過ぎても余裕で22歳の言動で揺り動かされる気がする。ま、それも僕らしいと言えば僕らしいんだけどね。そういう僕を良しとする人と、僕は解り合っていけば良いんだと思う。今20歳で、それが理解出来ないという若者がいたとしても、きっと20年後にはわかってくれると思う。


結論、俺は俺であることを、やめない。

もちろん、必要な努力はしていくけど、その上で俺が受け入れられないのなら、別にそれでいい。
どっちにしろ、俺は俺であることを、やめられないしね。