スポーツとマゾとは本質的に異なる。

公園でジョギングする女性20

先の記事を読んだ友人からコメント。

マゾだな。
スポーツするひとはみんなマゾ。

違うんだよなー
その感想は、スポーツやらない人の感想なんだよなあ……
や、スポーツをやらない人でも、スポーツとはどういうことかがわかれば理解出来るはずなんだけど。


なんつうかね、本質的に、スポーツとマゾとは全く違うんだよね。




マゾってのは、負担を掛けられること自体に喜びを感じる人。負担自体に喜びを感じる人。

マゾヒズム – Wikipedia

マゾヒズム(ドイツ語: Masochismus 英語: Masochism)とは、肉体的精神的苦痛を与えられたり、羞恥心や屈辱感を誘導されることによって性的快感を味わったり、そのような状況に自分が立たされることを想像することで性的興奮を得る性的嗜好の一つのタイプである。被虐性欲とも言う。



スポーツってのは、色んな過程を踏みながら目標に到達するもの。
スポーツ選手にとって負担ってのはあくまで負担に過ぎないし、過程に過ぎない。

もし、ただ、過程だけを感じるためだけにスポーツをやっている人がいたら、その人はマゾかも知れない。長距離を走る、息苦しさに快感を覚えるのであれば、そうかもね。でも、長距離を走る人が求めるのは、走り終わったあとの爽快感であったり、自分は何キロ、何時間走ったという達成感であったりするわけで、毎日トレーニングするのは、その達成感をなるべく苦しまずに達成出来るようになりたいから。自分に掛かる負荷を取り除いていくのがトレーニングの本質であって、その負荷に快感を覚えることとは根本的に違う。

負担だけしかないスポーツなんてないんだよ。喜びに感じるのはその目標達成であって、負担じゃないの。スポーツ選手にとってだって、負担は軽ければ軽いほどいい。道具の進化とかね。でも目標のために必要ならば、負担を背負うことを厭わない。それだけ、その人にとって目標が大事だから。


じゃあなぜ、マゾだと思うのか?

それはつまり、その人の目標が自分には理解出来ないということ。


スポーツに限らず、生きていく上での目標ってのはごく個人的なことであることが多く、他人からは理解出来ないことも多い。「なぜそれが好きなの?」という質問に似ていて、突き詰めると、「好きだから好き」以上に分解出来ないものだったりする。そういう「なんのためにそんなことするの?」っていうの、世の中にものすごくたくさんあると思うけれど、スポーツもその中の1つ。それがただ、運動的であるだけであって、「目標を持つ」という点では別に何も変わらない。

自分と縁のない世界に住む人の目標が理解出来なくても仕方の無いことだとは思うけれど、それを自分に近いものに置き換えて間接的に理解することは出来るんじゃないかな。


自分は、自分の目標を達成するために、苦しいことを我慢し努力を重ねるか?

答えがイエスだったとしても、あなたはマゾではない。人間として、極めて正常です。


スポーツとは、そういうこと。