「何もやる気が起きない」って大事なのな、と思いました。

昔から「真面目だね」と言われる反面、とても怠惰な人間であることを自覚していまして、放っておくと油断してなにもしないとか夕方まで寝てるとかしてしまう人間であり、どうしても必要でそれを実行しないと自分が凄い困るという場面でもヤケになって放り投げてしまうことがある、そんな不可解な人間であります。自分。

これまで幾度もそういう自分に困らされてきたので、「そういう思考=怠けている」と判断してきたのですけど、なんというかなー、確かにその通りである可能性が7割あるとしても、それが自分からの「サイン」であることもあるのですよね。怠けようとしている自分を叱咤激励して前に進むことが良いときもあれば、「やりたくない」「やりたい」という感情を優先させた方が結果的に良い結果に近付くこともあります。頑張って突き進むことに合理性があったとしても、自分自身が「やりたくない」と感じることには幾ばくかの自分的「直感」が含まれていて、そこには単に「めんどくさい」「怠けたい」だけではない、自分の経験に基づく自分の資質や性格に対する判断もあって、すべて「どうせお前怠けたいんだろ」で排除出来ることではないのだと。

要は何を前にそう感じているのかを考えることが大事で、自分を律して努力し続けることは大事であったにしても、常にそれを強要するのはしんどい。それが「怠惰」に見える感情であっても根本的な部分では自分を信用してあげるべきで、その上で必要かどうかを考えると良いかなあと。自分を信じることをせずにムチを打ち続けると、感情が理性から独立していってしまって、逆に自分を律するのが難しくなってしまう。「やりたいかどうか」というのはすべての根本にあってそれを騙したり変えたりすることなく、それでいてうまく社会で暮らすようになっていかないとなーと思いましたです。

当たり前の話のように、自分で書いていても思うんですけどね。
自分としてはこの話が「一周回った話」であることが大事だったりします。