鰻重≪3≫


一般的に考えて、お祝いの日には祝われる人はお金を出すことが無く、祝うために集まったひとがお金を出すというのが普通です。誕生日であれ結婚式であれ「おめでとう」という言葉と共に幾ばくかのお金を出して、それを集めて場所代や飲食代を支払うというのが社会一般の習慣でしょう。表題に書いたような、「今日はお集まりいただきましてありがとうございます。食事等こちらでご用意させていただきましたので心ゆくまで楽しんで下さい」みたいなことって滅多にないです。挨拶でそう言ってもしっかりパーティ代は徴収されたりとか。むしろあったら行きたい。でも、僕の大学時代はそうだったんですよ。

これは京都大学馬術部の伝統なんですが、誕生日や記念(馬に乗ることを「1鞍」と呼び100鞍ごとなど切りの良い数字でお祝いをする)のときにはその人を祝いに集まった人はおめでとうの言葉を、祝われる人はその場の代金を全払い…と言う習慣でした。今も続いてるのかな。理不尽だと思いますか?人にたかるようなのは良くないと?まぁそうですねぇ。人によっては「ちっ、これだから体育会系は」とまで思うかも知れませんが、でもねー実際にやってみて考えればわかるんですけどこれってもの凄く合理的なんですよ。


まずね、お祝いしてもらえるんです。誰かに必ず。それでいて祝う気が全く無い人は来ません。タダ飯が食えるからと言う理由で親しくも無いひとの誕生祝いに来るような人は、まぁ可能ではあるけど実際にはいません。そしてお祝いをするに当たっての支払いが年1回で済みます。確かに祝われるときの出費は大きいです。6人集まって居酒屋に行けばまぁ2万くらいかかりますし、学生にとっての2万はとてつもなくでかいです。でもその分、他の人のお祝いには手ぶらで参加できるわけです。外せない用事があるとか面倒だとか嫌いだとか酒の席が苦手だとかでなければまぁ行きます。タダですから。さらに「行かないとお金が集まらなくて支払いが出来ない」ってわけでもないので行く義務も生じません。すげー気楽。


どうでしょう。
祝う方、祝われる方、両方にとって合理的だと思いませんか?
これを聞いた人の99%は「合理的だけどやっぱりなんか違うんじゃ無いかな…」という反応なので、多分これを読んだあなたも「解るけど何言ってんだこいつ」というリアクションではないかと思いますが…

普通の習慣とは大きく違いますし「祝われる人間」に大きな出費を強いるのは事実なので、あんまり「やれ」って言ってやるもんではなく浸透させるのは難しいと思いますけども、もしこういう習慣が一般的になったら結構楽しいと思うんだけどなーと、時々思っています。