わからないことは「わからない」と言って聞くようにする

Ethos


これはきっと性格なのだと思うのですけど、油断するとすぐに知ったかぶりしてしまったり、「まぁいいか」と聞くのをサボってしまったりするのです。良いこと無いんですけどなんとなく誤魔化せるような気がして。「まぁいいか」と言ってしまう理由は一口には言えないんですけど、主な部分を占めているのは例えば「わからない」というのが恥ずかしいというような感情。「そんなことも知らないの?」と言われるのが嫌だなあ、ないしは怖いなあ、なんてことを考えてしまうのです。そんなこと考える必要はないと「考えて」はいるんですけど、体が反応しちゃうんですよね。そんなことは考える必要は無くて「聞くは一時の恥」なのだからそこで解決した方が良いし、だいたい「わからない」と言ったところでそれを嗤う人なんてそんなにいない、そう考えてはいるんですけど。



なので、努力して「わからない」と言うようにしています。

ハキハキ喋るのと同じで、意識してやっている内に身についていくんでは無いかなあと期待して。




実際問題、わからない事ってのはたくさんあるわけですよ。特に人と話しているとよくある。で、ラッキーなことに「Web」というものが存在している時代だから、多少わからなくても後で検索して調べてわかるようになることが出来てしまうんです。「レスポンシブ」と聞いて「あーはいはい」とか言っておいて、1人になったときにこっそり検索して理解しておけば、僕が「レスポンシブ」という概念を知らなかったことは隠蔽できます。気付かれっこないです。でもなーそれよくないんだよなー

これが良くないと思う理由は2つあって、1つは相手の話を聞く機会を逃すこと。説明してもらえば相手とコミュニケーションを取るチャンスが増えるし、相手がどれくらい理解しているかわかります。相手が言っていることが正しいか、どうせあとで調べてチェックするわけですし。

もう1つは、自分を大きく見せてしまうこと。なるたけ自分を優秀だと評価してもらいたいというのは誰しも多少はあると思うのですけど、「わからない」と言わないでいるとそう意図していなくても「何でも大体了解している」というようなスケールで判断されてしまいます。んで、それって結構しんどい。解ったふりを重ねれば重ねるほど、次も解ったふりをしないといけない。自分の身の丈に自分が合わなくなってきてしまうんですよね。

だからもうね、なるべく早くにギブアップしようと思って。わかってることまでわかってないふりする必要は無いけど、きちんと把握している自信がなく、相手が自分より知っている風だったらもう早めにギブアップして教えて貰おうと。その方が絶対楽だし。



そうそう「店の店員に対してハキハキ喋る」っていうの、僕昔あんまり出来なかったんですよ。その店員が異性であれ同性であれ、若者であれおばちゃんであれ、何となく口ごもるという。んで、「え?」って言われて余計に焦って顔が熱くなるとか日常茶飯事でしたが、何がしたいのか、何をして欲しいのかを、きちんと声出して伝えるようにしたらば次第に出来るようになっていきました。喋り始めが1秒遅れたとしてもはっきり喋った方が伝わりますし問題が少なくて済む。それに気付いたときに、なにか変えられた気がしました。

すぐには変わらないけど続けていけば変わっていくもの、そういうことってたくさんあるよねと思っています。性格は変えられないけどね。でも行動には変えられることもあるんじゃないかって。そう思います。