「慇懃」は難しい

vegetarian societyの中


昨日、久しぶりに職場で揉めましてね。

まぁ揉めた理由については詳しく書きませんけど「話が長い上にまとまってない」「日本語が不自由」「都合が悪くなると喚く・怒鳴る」「僕が贔屓されているという嫉み」など、僕が嫌いな成分がてんこ盛りであんまり上手くいってない相手です。「こいつどうしようもない馬鹿だな」と思ったら態度に出しちゃう僕にも問題はあるんでしょう。だが私は謝らない。


おっと話がずれた。俺がいかに正しいかみたいな話が書きたいんじゃないんだ。


そうじゃなく表題の件。

どういう意味かというとですね、なにかっつうと「すみません」「ごめんなさい」とすぐに謝る奴は信用できないってことです。ああ「ごめんなさい」と言えるのは大事なことですよ?大事なことですが、そのこととなにかっつうと謝る奴の「ごめんなさい」は同じじゃありません。そういう奴の「ごめんなさい」は「僕の言うことに従ってください」という意味です。謝罪というより我を通したいだけなんですよね。

だったら「ごめんなさい」要らないよと思うんだけどそれをわざわざ入れ込むのは自分自身に対するエクスキューズです。今から自分勝手なお願いするけど謝っておいたら大丈夫でしょ的な。大丈夫じゃねえよ。そういう無意味な言葉を熨斗としてつけて我が儘をねじ込もうとする人が本当に嫌いです。んで、大体そういう人は申し出を断ると「こんなに下手に出てやってるのに!」と逆ギレするのでたちが悪いです。下手になんか出てねえよ。


なんだろうなー。「我を通されるのが嫌い」とかそういうことじゃないんですよね。周りに居ませんかね、結構自分勝手でやりたいようにやってるんだけど、どうもこの人に言われると「うんいいよ」て言っちゃうっていうおばさんとかお姉さんとか。たまにおっちゃんとか。そういうひともよく「ごめんねー」とか「悪いけどさあ」なんて言うんだけど、そういうのはなぜかそれほど感じ悪くない。先のセリフに比べて「謝罪」の成分が皆無だからかな。「謝っておいて自分の要求を」みたいな気持ちが微塵もない。中途半端に要求を誤魔化そうとするよりも、その方が気持ちいいのよねぇ(「うんいいよ」って言うかはともかくとして)。


性格だろうから直そうったって直らないだろうし気付いてすらいないんだと思うけど、自分がどういうキャラかをちゃんと把握して、自分がそういう誰にも好かれるタイプ(例えば「釣りバカ日誌」の浜ちゃんみたいな)でないんだったら、「慇懃」はやめて率直に語るようにした方が無難だと思います。ちなみに僕は浜ちゃんみたいに上手く出来ないので結果的に率直に語るしかありません。必然的に上手くいく人・いかない人わかれるけど、それはもう仕方ないね。