「失敗させたい」という考え方について

担当だった社員が3年ほど前に退社して以来、事実上担当者不在になっている機材があります。汎用OSに特定用途のソフトウェアが載っているのですがPCの挙動がそろそろ不審。ただそのOSがWindows 2000で、かつ一部ソフトウェアがWindows 7では動かない(XPモード始め色々やったけどダメだった)ので、PCを新調してインストールし直せばOKというわけにも行かない。手に入るのは社員の中古のWindows XP機だけど、WindowsXPでは誰もトライしたことがない。

僕はといえばプロジェクトがギチギチに詰まってて手が離せないので、社長の提案で比較的若い社員(技術者ではない)にその仕事を振ることに。社長としては誰でも出来る仕事だから手が空いていて事務処理能力がある人間に振って「手段や経過は問わないから一刻も早く更新したい」と。まぁその社員に任せるのには異論はないものの「出来るだけ失敗させたい」と返答した僕。その回答がどうも上手く伝えられなかった(微妙な顔してた)ので、改めてまとめ直してみます。




「出来るだけ失敗させたい」というのは、もちろん、それで説教したり虐めたりしたいということではありません。感覚としては「問題をはっきりさせたい」。プログラミングでテスト書いて意図的にエラーを吐かせるのに似てますかね?そのエラーを直していくことでコーディングを進めるというアレです。

ソフトウェアをインストールして設定するだけの作業だと、運良く上手くいっちゃう可能性もあります。強引にインストールして何とか動くとか言うことになっちゃう可能性も。でもそれだと今後に繋がらないんですね。似たような機材は他にもあるわけで、次に作業をするときも同じような「チャレンジ」をしなくちゃならない。

もし若い社員が「失敗」してくれたら、その原因について考えるなり相談するなりするでしょう。その試行経路をメモしたり、解決にいたるプロセスを精査するなりすることで、その社員にとっても会社にとっても経験になります。運良く成功されちゃうとその経験は「(何でかわからんけど今回は)上手くいった」というだけで、結果としてプラスにはならないんですよね。



「今すぐ何とかした方が良い」という実情から効率を計算すると「手段や経過は問わないから一刻も早く」ということにはなります。それは現実的な経営者判断であるとは思いますが、別の見方をすればただ単に問題を先送りにしているだけなので…

うん、そうそう、野村克也元監督がよく言う言葉「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」がぴったり来るかも。勝負がずっと続いていく関係上、いつまでも不思議の勝ちを期待し続けるわけにはいかんのですよ。中継ぎエースが故障して初めて自チームの投手陣の脆弱さに気付いて慌てても、向こう何年かはダメなままになるわけです。

まー今回の機材の更新はそんなにね、重要なことではないんですけども…だからこそ失敗して欲しいなぁと。んで、失敗をメモること、報告すること、修正することを学んでくれたら、そしてその結果として最終的に成功してくれたら、会社としては4倍美味しい。失敗度合いのコントロールとそのフォローは必要ですけど、これを繰り返すともっと良い組織が出来ると思うんですよねぇ。大学時代とか思い出してみても。



失敗するチャンスを与えるメンタリティ、というのは、誰かを指導する上で必要なことなんじゃないかなーと。
成長を期待しつつも失敗も期待するというのは、大事なはず。
指導する上でもそれほどのチャンスはないしねー。

そんな考え方。