忘れたくないことを「外部化」する

今日(2011/10/17)のほぼ日、今日のダーリンより。

ほぼ日刊イトイ新聞 – 目次

・「憶えている」と「忘れる」ということ。
 憶えていたくないことは、なかなか忘れないし、
 忘れたくないことは、憶えていない。
 この記憶の「切り替えスイッチ」って、
 じぶんで入れたり切ったりできたらいいですよねぇ。
 でも「憶えている」ほうがいいものなら、
 メモしておくか、人に話すか、どちらかですよね。
 とにかく、いったん「外部化」することだと思います。
 あと<メモをじぶんの「読みもの」にする>ってことも、
 ぼくの手帳のメモに記してありました。



ブログ書いている理由をすっきり説明できないことが多かいのだけど、そうか「外部化」かー。


「誰かに良いこと書いてるねと言ってもらいたい」気持ちはゼロじゃないけれども、
どちらかというと「自分で忘れそうだから書いておく」とか、「こういう発想面白いから何かの折に生かしたい」とか、
そういうことの方がブログを書く理由としては強くて。実際自分のブログをよく読み返すし。
でもこのことが「アクセス稼いで人気ブログに」という人相手だと上手く伝えられなくて、モヤモヤしてました。

うん。そう。外部化ね。


それを公開する必要があるのか?という気もするから、その点では他人の目を意識してるんでしょうけども、
自分だけのメモはアナログノートに書いているところを考慮すると、
誰かに読んで欲しいと自分メモを同時にやろうとしているんだろうな。
自分も読み手の1人に勘定した上で、その人にフォーカス当てて毎日なんか書いてる、ってのは全くその通りだなぁ。



「外部化」と「じぶんの読みもの」ねー。