・「ほぼ日」をはじめたばかりのころから、
 「断られる」ということについて、考えていました。
 
 仮に、小笠原くんが、なにかを提案したとします。
 もう一方の東野くんが、それを「断る」としましょう。
 小笠原くんは、その「断られた」理由を説明してくれと、
 東野くんに強く言う、とします。
 このとき、東野くんは、小笠原くんに対して、
 「断った」理由を説明する義務はないのです。
 ぼくは、そう決めました。
 よくわかんないけど「断った」とか、
 うまく言えないけど「断りたかった」とか、
 「断った」理由をあなたに言いたくないとか、
 ぜんぶ、オッケーなのです。
 
 それは、つまり、理由はわからないけれど、
 小笠原くんの提案には、東野くんが賛成するだけの、
 「なにか」がなかったのです。
 


あーなんかその発想はなかったな。目から鱗。

続く文章も。
 「断られる」ことを考えに入れたプロポーズとは、
 相手の自由を大事にすることだと思っています。
 「相手を自由にさせすぎていたら、成立しない」
 なんていう場合は、成立しないほうがいいくらいです。
 ぼくは、そういうふうに思ってやってきました。
 だから逆に、わりと「断る」ことも自由にしています。
カジュアルに断ることで、カジュアルに提案し、またカジュアルに受諾できるという好循環を生むのかな。


確かに、仕事でもプライベートでも、
  • 「頼んだらやってくれるはず」
  • 「少なくとも前向きには検討してくれるはず」
という心づもりでプロポーズすることは多くて、その分、断られると感情的になってしまうとことがあるかも。
まぁそんで「なぜ断るのか」の説明を求めるんだけど、別に理由を聞いても大して良いことなんか無くて、
あるとすれば自分の気持ちが多少は落ち着くだけと言うね。
そんなことしてないで、次案を考えればいいのにね。


感情的な部分が大きいので、そうだよねと思ってすぐにそうはなれないけれど、
何か大事なことを読んだ気がしました。そうだよね。



あと、糸井さんの凄いところは、合ってるかも知れないし間違ってるかも知れないけど、
自分がよいと思うことを、
ぼくは、そう決めました。
と決めて実行していくところだなぁと改めて。

間違ってるかも知れないから決めない、というのが世の中多すぎて、
だから間違っても後戻りできないことが多いんだけど、
それでもとにかく決めてしまえば、その先を見ることも、また止めることも出来るんだよね。

そうかそうか。

今日のダーリン(2011/05/14) 全文引用

保管用
・「ほぼ日」をはじめたばかりのころから、
 「断られる」ということについて、考えていました。
 
 仮に、小笠原くんが、なにかを提案したとします。
 もう一方の東野くんが、それを「断る」としましょう。
 小笠原くんは、その「断られた」理由を説明してくれと、
 東野くんに強く言う、とします。
 このとき、東野くんは、小笠原くんに対して、
 「断った」理由を説明する義務はないのです。
 ぼくは、そう決めました。
 よくわかんないけど「断った」とか、
 うまく言えないけど「断りたかった」とか、
 「断った」理由をあなたに言いたくないとか、
 ぜんぶ、オッケーなのです。
 
 それは、つまり、理由はわからないけれど、
 小笠原くんの提案には、東野くんが賛成するだけの、
 「なにか」がなかったのです。
  
・「ほぼ日」がなにか依頼するときには、
 とにかく「断られてもいい」と決めてお願いします。
 「断る」か「断らない」かの自由は、
 頼まれた人がまるまる持っているという前提で、
 「どうしましょう」という話にします。
 「断る」理由を教えてくれる人がいた場合は、
 ありがたくそれを聞きますが、
 そうでなければ、「またの機会を」とあきらめます。
 ほんとうに「またの機会」がくることも多々あります。
 
 「断られる」ことを考えに入れたプロポーズとは、
 相手の自由を大事にすることだと思っています。
 「相手を自由にさせすぎていたら、成立しない」
 なんていう場合は、成立しないほうがいいくらいです。
 ぼくは、そういうふうに思ってやってきました。
 だから逆に、わりと「断る」ことも自由にしています。

 手は、両側から伸ばしあってつなぐものですからね。
 親が子どもの手をしっかり握っているのと、
 おとなどうしが、手をつなぎあうのとでは、
 ぜんぜんちがうわけなんですよねー。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
そう、来ない自由があるのに来てくれて‥‥うれしいです。



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