「なんのために」を考えない

昨日書いたエントリ「追い込まない」の関連。

「追い込まない」 – nplll

「追い込まない」の中で書いていたことは、

  • そもそもの目的を意識して努力そのものを目的化しないようにしよう

ということなのだけど、矛盾するかも知れないけれども、それと同時にタイトルのようなことも成り立つんじゃないかなぁと思ってます。「なんのために」を考えない。例えばジョギングをしている目的がダイエットだとすると、距離や時間を設定してノルマを課すことは止めてダイエットが進んでいればそれで良いじゃないか、というのが「そもそもの目的を意識して」ということなのですけど、場合によってはなかなか体重が落ちないこともあるでしょう。そうすると、走ってる間に「これで何グラム減るのか」「もっと落とすためにはもっと走った方が良いのか」なんてことを考えてしまいがちです。

それは目的達成のためには正しいことではあるのですけど、根本的な問題があります。何か?そんなこと考えて走ってたらジョギングが楽しくないんですよね。細かく成分を分析しながら食べる食事が美味しくないのと同じ。コードの展開とか音の構成を考えながら聴く音楽で盛り上がらないのと同じ。そんなことをいちいち考えなくても、「娯楽」はそれそのものが快楽になってると思うんですよね。

始める前には色々考えることもあると思います。でも、始まってしまったらそういうのを全部忘れてその快楽を受け入れることだけを楽しむ。終わったら、また考えを再開する。そういうリズム、そういうバランスで何かをやれたら、同じことをするんでももっと楽しく(そして結果的に効率よく)やれるんじゃないかなぁと思っています。バランス取るのが難しいんですけどね。