昨日のほぼ日。

鶴瓶 むかし、上岡龍太郎さんに
よく言われたのは、
「おまえは、どんなに面(めん)を打っても、
 面を認める人間やな」と。
だから、「面」って、剣道の面ですよ。

糸井 ええ。

鶴瓶 「面ーっ!」
て来ても、逃げない。
打たれてんねん、こないして(打たれてる仕草)。
「はい、わかりました、面」。
 


やー、鶴瓶さんの言葉が凄く入ってきた。

なんというかですね、要するにプロレスだと思うんですよ。
鶴瓶さんの言葉を受けての、糸井さんのこの言葉なんかまさにそう。

糸井 打たれ強いわけでも何でもなくて、
「どういう遊びをしたいのかは
 あなたが考えていいですよ」というか。
鶴瓶 そうそうそう。
糸井 で、そうしたほうが
相手の力をちゃんと見せられるから、
ゲームとしてはおもしろいんですよね。
鶴瓶 そう!

もう15年くらい前になりますけど、僕が静岡から京都にやってきて一番最初に感じたのは「関西っておもしれえwwww」でした。静岡では日常会話の掛け合いを第三者が聞いて面白いなんてそんなにないですけど、こっちだと普通にある。しょっちゅうある。なんだろうなー「話の内容が面白い」ということではなくて、「会話自体が既に面白い」んです。伝わるかどうか自信ないですけど。

僕にとってはこれは衝撃でした。その面白い中に自分も入ってみたかった。関西弁は「エセ」でしかないですけど、ボケたりつっこんだりすれば面白くなるんだろうと思ってました。

違うんですよね。



あくまで僕が勝手に考えることなんですが、これきっと、ボケたりつっこんだりすること自体が面白いんじゃないんですよ。関西に来た関東人が真っ先に間違えることなんですけど、自体にこだわると会話が嘘くさい。無理してボケてもストレスになるだけだし、無理につっこんだらそれはそれで言いすぎになる。標準語のイントネーションでのツッコミって関西人にとっては凄い怖いらしいです。冷たい感じがして。

ある時会話に「勝負」を持ち込みがちな自分に気が付きました。なんだろ、個人的な特性かも知れないんですけど、つっこむ方が偉いとかぼけても自分が許可したつっこみだけして欲しいとか。「笑い」ではなくて「嗤う」「嗤われる」というイメージ。



引用した鶴瓶さんと糸井さんの話を思い浮かべつつ言い換えれば、それって要するに「相手の言葉を受けてない」んです。聞いてはいるんですけど受けてない。相手の「面」を受けずにかわして逆に打ち込み返す隙を探してる。それじゃー面白くならないんですよね。

自分が打たせても良いというスタンスでいると相手もそういうスタンスでいてくれるし、打たせたくないと思ってる人には打たせてくれない。大事なのは「打つか打たれるか」じゃあなくて「面白くなるかどうか」なんで、いいんですよ。打たれたって良い。打ち込みそのものだけじゃなくそれが響く所まできっちり見せて、お互いの良いところを引き出し合って、そういうのがあって初めて「面白い掛け合い」になるんです。相手の技を受けて、そして返す。誰かだけが幸せになるやりとりではなくて、みんなが楽しくみんなが幸せになるそんな掛け合い。

関西人、特に大阪人はそういうのをもう子どもの頃から空気のように吸収していてもの凄く自然に消化してるんですけど、簡単そうに見えて実は全然簡単じゃないんですよね。僕はこういう関西の雰囲気が大好きなので、子どもの頃からそういう空気に触れている人たちを本当に羨ましく思います。