昨日のTLで「選挙に行こうとだけ繰り返してるツィートうざい」っていうつぶやきがいくつかあって、確かに全くその通りだなぁと思いましたです。なんですかねぇ、「選挙に行こう」っていうのは日頃から政治に関心を持っている人にとっては「ちゃんと意思表示しようぜ」ってことなんだけど、そうではない人にとっては「とにかく良いから選挙行け」という以上ではなくて、確かにそんなの何の意味もないよね。それ、目的じゃないからさ。

大事なことは「選挙に行くこと」ではなくて「政治に関心を持とうぜ」ってことだと思うのよね。


昨日書いたのも一応そういうつもりだったのだけども「政治に関心を持つきっかけとしての選挙」というのはあり得るし、投票のためとはいえそういう機会があるのは良いと思うのよね。「デフレ」とか「増税」とか単語は知ってても、誰がどういう見通しでどう考えて実行しようとしているかなんて選挙でもない限り知ろうとしない人はいると思うから。

メディアが時間もしくは紙幅の都合上、大衆の耳目を集める話題しか取り上げられない以上、それ以上に知ろうとするには能動的に情報を収集するしかない。でも普段関心がない人には、その気もないしそうするきっかけがない。そのために選挙、というのも考え方としてはありかなと。そうやって興味を持ってくれた人の半分が「やっぱりどこにも投票する気が起きない」といって棄権してしまっても、それは失敗ではないんじゃないかな。



なんだろうなー。

良いか悪いかはともかくとして、結局意思表明をする場って選挙しかないんだよね。街頭デモは問題の周知になりこそはすれ政策の変化に繋がることはほとんど無いし、ブログやTwitterでの盛り上がりを政府が取り上げたってのも聞かない(政治家個人とか行政の中の人個人とかはともかく)。何とかして欲しいと思ったら何とかしてくれる人を選ぶしか無くて、選ぶ人がいなかったら...自分が出るしかない?なんかそういうことなんだよね。要するに。

さっき「棄権してしまっても」と書いたけど、やっぱり心情としてはそれでも選んで欲しい。自分の生活が直結している問題だから、それを他の誰かが選んだ結果に委ねないで欲しい。正しいとか正しくないとかじゃなく、自分の生活の見通しについてビジョンを持って欲しい。そうした考えの区切りとして、誰かを選んで欲しい。



確かに僕だって「選挙で社会が変わる」なんつて本気で信じてるわけじゃないよ。ぶっちゃけちゃうけど(笑)

6000万票の投票が5999万9999票になったところで大勢に影響はないんじゃないのって思うよ。でももし、1人1人が考えるようになって6000万票が6100万票になったら日本のどこかで何かが変わってるはずだと思う。6600万票になったら、日本が変わり始めると思う。

募金と同じなのよね。募金するときに、自分1人の100円がなくても総額の多寡に変わりはないと考える人はそんなに多くないんじゃないか。みんなの100円が積算されて大きくなればいいと思うんじゃないか。


だから、選挙に行こう。


声を大にして政治の話をしなくても良いから、誰が何をやって自分の給料明細の所得税が増えてるかくらい知っておこう。消費税について誰がどういっているかを知ろう。そういう小さなことの積み重ねで、1人1人が少しずつ変わっていけばいいと思うんだ。