何となくざっくりだけど、スポーツとメンタルの話って1週回って正しいところに近づいてる気がする。

メンタルがどれほどパフォーマンスに影響を与えるか。

 語り尽くされるほど語られてはいたとしても、その重要性をあらためて浮き彫りにしたのが、11月6?8日に行なわれたフィギュアスケート・グランプリシリーズ(GP)のNHK杯だった。

(中略)

メンタルを制する者が、五輪代表の座を射止める。

 練習でどれだけ調子がよくても、練習を積んできても、試合で出し切るにはメンタルが重要だ。そして、経験を積んだ選手たちであっても、ふとした心の動きで、本来の力を出し切れないのだということを、彼らの言葉は物語る。
 

精神論万能主義の時代

スポーツとメンタルの話って、昔は要するにいわゆる精神論、実力で劣ってても根性さえあれば最後は勝てる!!みたいな話。

まぁ本当のこというと、本当に実力が劣ってて根性だけで勝てるほどスポーツの世界は今も昔も甘くない。奇跡とか金字塔と言われる試合は最終的に根性が見えたかもしれないけれども、その前に実力を埋めるだけの戦略やモチベートがあったからこそ勝利に結びついたわけで、そういうの抜きにただ根性だけ言うのは「勝負」における典型的な手抜き。




メンタルケアと精神論万能主義の摩擦 → 精神論不要の時代

で、まぁそういうのが混沌としてて嫌気がさした時代ってのがそのあとに来たように思います。アトランタオリンピックでの千葉すずの受け答え(「楽しんできます」「楽しむつもりで出た」など)が典型的かと。

選手個人にとっては「メンタルが重要である」っていうのは否定のしようがないことだから、そういうことを含めた上での「楽しんでくる」だったんだろうと僕は想像します。でもそれをわざわざ会見で宣言すると言うことは、メディアや国民のメンタルに対する理解がないっていうか、その辺りでは前時代的な「根性さえあれば何とかなる」裏返せば「負けるのは根性がないからだ」的な空気感への対抗だったんじゃないかと。まー…そういう宣言をしなければいけないほどセンシティブになっている時点で、メンタルケアは失敗してるんだけど。


ともかくこの時代はどちらかというと過渡期というか。メンタル的なものの重要性は再発見されてるんだけど、そのメンタルを従来の根性論と混同し、精神論万能説に依りたがる世論と選手との間で摩擦が起きていた時期かなと思う。んで結果として「千葉すずの印象」に代表されるような“勝ちたい気持ちや頑張る気持ちなどは、競技において重要ではない”みたいな風潮が生まれる感じに。

初めは本当に摩擦による忌避だったかも知れないけれど、そのうち「勝っても負けても良い」「順位は問題じゃない」「のびのび野球」とかいう努力するのはださいとか、楽しんでやることが重要だみたいな、イージーで醒めた時代に。何かをするときに楽しんでやることが重要であるのは全く否定しないけれど、当時モデルとして見ていた海外の一流選手の凄いところは、楽しんでやる部分だけではなくて楽しむのと勝負とを両立していたことだと思うんだよね。“楽しむのが目的だったから勝負は関係ない”と言う文脈で使われる「楽しむ」は要するに「勝負の前に負けてました」ってことであって、もっと言えば目的を明らかに取り違えてるよね。適切な目的の設定無しに、適切なモチベートなんか有り得ないでしょ。




精神論からの脱却とメンタルの再発見

そんなわけでしばらく「気持ちがあれば勝てる」みたいなセリフはもちろんのこと、「気持ちが重要」というようなことさえ言ってはいけないみたいな風潮になってたわけですが、そういう空気に対して何言ってんの、みたいな感じで切り込む競技者やメディアが増えて少し変わったかなと。


例えば、WBCでのイチローとか。

彼が才能に恵まれてることは誰でも知ってて、同時に多くの努力をしていることもみんな知ってる。その上で勝つためには成功するためには、強い意志も持ち合わせる必要があるって事を示した。どっちかじゃなくてどっちもなんだという事実。

冒頭で引用したフィギュアスケートに関する記事を読んでも(記事は松原孝臣さん)、競技に臨むまでに膨大な準備が必要なことは当たり前で、それが欠けてしまってはメンタルどうこうというレベルにまで行かない、と。ただ、準備が万全であっても、メンタルが欠けてしまえば自身で「人生最悪の演技」と評するようなことになってしまう。どっちも大事なんだっていう話ね。



多分、競技者レベルではずいぶん前から当たり前の話だったと思うんだよね。理屈じゃなくて、結果としてそうなるから。わかりやすい。でもそれをきちんとメディアや、世論が認識できるかどうかっていうのはまた別の話で、誤解に基づいて結構適当なことを言ってきたわけで(この場合に限ってはメディアは正しく国民を映す鏡になっていると思う。マスゴミに見えるなら国民自身がゴミってことだ)、「それはどうやら違うぜ」っていう論調が増えてきたのが昨今かなと。

今後どうなるかはよくわかんないけど、きっとこういう揺り戻しを色々やりながら、ちょうど良い距離感みたいなのを掴んでいくのかな。個人的には、今の風潮は以前に比べて競技者の立ち位置やあり方をより客観的かつ柔軟に捉えることが出来てて気に入ってます。