常識の限界

久々に「常識の限界」ってやつを見た。人格だとか感性だとか環境だとか常識は人によって違うとかそういうレベルじゃないやつ。今はただ顕在しているだけなのかも知れないけれども、状況から考えてすぐに良い方向に向かうのは難しいのじゃないか。

彼我でここまで違う場合に、それに対してこちら側の考えていることがいかに論理的であるように見えても、それがどうなるかは開けてみるまで分からない。何事もやってみなくてはわからないし、事実やってみる価値は十分にあると思うけれど(やれることはそんなに多くなくて猶予もない)、どんなやり方にせよ向こうに一度ボールを投げるというやり方は相手に判断のチャンスを与えることになるし、どんな結果が出てくるかはそれが良いか悪いかを含めても分からないだろうと思う。どんなシチュエーションを想定しておいても無駄にはならないんじゃないか。


「愛する人間が死ぬのを見るより、愛する人間が狂ってるのを見る方が辛いんじゃないかな」
(村上龍「愛と幻想のファシズム」 文庫版上巻P.43)
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