感覚を言葉にしようとしすぎない。

相手に自分の思いをきちんと伝えるには言葉にする必要がある

その思いは今でも変わっていません。

いませんが、そのことはコミュニケーションの上で最も大事…と言うほどでもないと言うことに最近気付きました。これを具体的に説明するのは難しいのですが…。


自分の考えをきちんと言葉にして相手に伝えようと努力していくと、自分がどんな考えを持っているのかを考えるようになりますし、自分の感覚を捉え直すきっかけにもなります。「意見や感想が受け入れられない」→「この件終わりね」、なんていう事が減るので考え方も柔軟になるかも知れません。まぁその辺は人によりけりだとは思いますが。


こうした面は「感覚を言葉に落としていく努力」がもたらすメリットの部分です。今までそのメリットが自分にとってベストだと信じてやってきたんですが、デメリットもあることに気付きました。

それは「言葉に落とせない感覚の存在が希薄になる」です。

「相手にも感覚を言葉で表現することを強要する」でも良いんですが、そのことより問題は「言葉にするから解り合える」→「言葉にしないから解り合えない」と感覚が発展した結果(証明としては必ずしも正とは言えないはずなんですけどね)、「解り合えない事は無視して良い」=「言葉に出来ない感覚は無視して良い」となってしまうことです。自分ではそんなつもりは全くなくて「言葉に出来なくても仕方がないと自分は考えている」と思っていたんですけど、どうもそうじゃないみたい。

それって「言葉を使ったコミュニケーション」の論理からすると正しいかも知れないけど、本質的には相手と分かり合うことを目標とし、それを達成しやすい方法として定められた論理なわけだからさ…“理解しなくて良い”という言葉は明らかに本末転倒なんですよね。




それは相手に対してだけじゃなくて自分に対しても同じで。


僕が言葉にすることの重要性を感じたきっかけは、もともとそういうのが不得意でよく人から誤解されていたから。自分の考えを上手く説明できなかったり、自分が相手のどの部分に違和感を感じているかを伝えられなかったりして、人に理解してもらえない機会が多かったのね(例えば僕には僕なりの理由があって不満を感じてるのに、それが説明できなくてただ態度の悪い奴だと思われたりとか)。これってどうすればいいのかなーと子供の頃から漠然と考えてきて、結局は相手に何とか伝えようとするしかないという結論にいたって、考えこんだり言葉にして失敗してみたりしながら学んできたっていう感じ。

本質的には、理屈より感性の人間なんだろうねぇ。


たまに人から「君みたいに論理的に考えてるわけじゃない」なんつって言われるけど、そりゃあんたの努力が足りないだけだよ(もしくはエネルギーを注いでる部分が僕と違うだけだよ)と僕は思う。僕が出来てあなたに出来ないと言うだけであって、僕にとっても初期装備だったわけじゃないもん。



まぁともかくそういうわけで、必死になって言葉で説明しようと思って生きてきたんだけど、さっきの「言葉に出来ない感覚は無視して良い」が自分に対しても適用されているんじゃないかとふと思ったのね。「言葉で説明できないから伝えない」とか。

本当は感じたことを相手に伝えることが大事なんだから、言葉に出来なくてもそう感じていると言うことだけは伝えるべきなんでしょう。でも言葉を重要視するあまり、感覚を相手に伝えることよりも感覚を言葉で説明することの方が大事になってしまっていて、そこで止まっちゃってる(しかも悪いことにあんまり感情が表に出ない顔立ちなのだった)。


誰かに不快感を伝えたいとき、「これがこうだから不快だ」とか「これは本来こうすべきだと思うのに違う」とか説明できればそれに越したことはないけど、とりあえずは相手に自分が不快感を持ってるってことを伝えないと行けない。それは上手く説明できなくても伝わる。その後でそれについて説明を行えばいいし、もし相手が許してくれるならそれを2人で考えたって良い。説明を軽視しすぎると子供時代に戻っちゃうけど、要するにその2つのバランスが大事なんだろうね。


感覚を伝えることと、それを言葉で説明することと。



最近、そんなことを学びました。