なぜマクドナルドの優良店は30分単位で考えるか(プレジデント) - Yahoo!ニュース

2ヶ月前に読んだこの記事について、当初もの凄く嫌悪感を感じて、結局僕自身がこういう厳しい労働環境が嫌いなんだろうということで結論づけていたのだけど、それでもやっぱり何となくの違和感は消えなかった。

なんなんだろうなーと思っていたんだけど、ふとその違和感に思い立ったので書いてみる。

「ゲーム感覚」で誤魔化すこと

まず始めの違和感は、多分このゲーム感覚というヤツだと思う。

いちよし経済研究所の鮫島誠一郎主任研究員が「マクドナルドは、作り置きから受注生産に変わり、クオリティが上がり、食品ロスも減った」と指摘するように、30分ルールは受注生産に適したフットワークのいい体制づくりにも貢献している。しかし、いくら準備を整えていても、客の入りが悪い場合はどうするのか。

「そういうときはメーン商品や客単価の高い商品をお勧めしたり、駅前店なら通りで呼び込みをしたりして売り上げを増やす努力をします。それでもダメならクルーの数を減らす。つまり早めに帰ってもらう。幸い、うちの店舗では自発的に『暇なので帰りますね』と言ってくれるクルーが多い。逆に忙しければ延長してもらうこともある」

 A店長は30分ごとに目標達成状況を常に現場に伝えて、達成すればみんなで喜ぶ空気をつくっているせいか、アルバイトが状況を察知して“人員調整”に協力してくれるのだという。


数値を設定してその達成度を競うというようなゲーム性を持たせることによって、様々な能率が改善するというのは実際にあることだと思うのでそれ自体は別に良い。ポイントサービスだって、なんだって結局はそういうことだと思うから。それに、これを採用することによって末端のスタッフ一人一人が店の売り上げに対して高い意識を保てるのであれば、それは本当に凄いことだと思う。実際問題、そういうことに気が回ってない人間多すぎ。

ただ僕が違和感を感じるのは、そういうのが結局、バイトとかにはペイされてないんじゃないの?っていう話。例えば僕がアルバイトで、その日は客が来なくて暇で、17時上がりのところ16時に帰ったとする。売り上げという数字を目標にしたゲームという視点で言えば、僕は1時間分の時給と言うコストカットに成功して、店の利益に貢献したことになるけれども、それはあくまでゲームのルールの上での話であって、実際の僕に起きたことはなんのことはない1時間分実入りが減っただけのこと。それを「スタッフの意識が高くて頼もしい」なんて書くと素晴らしいように見えるけど、なんだよ結局その店舗の収益性の悪さでバイトが詰め腹切らされてるだけじゃないか。

そういう現実があるにもかかわらず、ゲームのルールの上では全てが素晴らしいことで処理されていく。それは、現実に対する誤魔化し以外の何ものでもない。払えるものがないからカットしたいだけなのに、それをスタッフの方から言うようにし向ければいろいろと波風立たなくて済むって言うだけの話はないのか。

本来の効率性とはかけ離れたこの手の誤魔化しがどんなところにあるかって言うと、まぁ想起しやすいのは「新興宗教」と「ネズミ講」。前者の場合、多くの資産を寄付することで次のステージに進むことが認められて組織内での地位が上がるなんていう形になるし、後者の場合多くの“子”を引き入れて売り上げを作ることでより上位の“親”に昇進でき利益も増える、なんて言う話になる。一般社会の側から眺めてそれぞれ相当に違和感のある行動だけれども、本人とそれぞれの組織の間にはゲームのルールが存在していて、その上で素晴らしいこととして処理される以上、本人達はなにも不満がない。組織側はそのからくりを知っているけれども、そのまま利用し続ける。

まぁ、当人同士がそのルールに納得した上でやっているゲームであれば外野が口を差し挟むようなことではないけれども、そのことをルールの存在しない外部に対して誇ることの幼稚さというか、恥はないのか?と問いたい。結局重要なのは末端のスタッフの意識の高さではなく、そのルールをいかに無理なくすり込むかと言うことなのに。



人件費をマージンとして扱うこと

またこの件は、マクドナルドはスタッフを「売り上げが悪くなればいつでも切れる人間」としてみていることも示唆していると感じる。もちろん全てのスタッフが横並びと言うことではなく、各々の力に応じてランク付けしてはいるものの、30分単位で売り上げが悪ければ人員を整理しているわけだ。その手法が店長からの命令であれ、ゲームの刷り込みによる自主申告であれ、やっていることは同じ。

結局それは、世界不況で明らかになった期間工や派遣社員の立場をライトに置き換えたものであって、その対象になる人間が学生であったり主婦であったりするから問題にならないだけのことだ。企業の利益確保のための妥当性という意味であれば、法的にも問題がないし別に好きにやったらいいと思うのだけれど、そのことを責任者である店長が誇るのはどうかしているのではないのか。先ほども書いたとおりこのバイトの立場からすれば店の利益が上がらずに自身の実入りが減ることになったわけだけど、そもそもそれはこのバイトが責任を取らされるべきことなのだろうか?

裁判の支持もあって残業代ももらえるようになった店長が、店の売り上げが30分単位で不調であることを理由に人件費を削減して利益を確保し、自らのサラリーは痛めることなくいただく。本来であれば店長がそのスタッフの時給分自らの給料から返還すればいいだけの話であって、それをせずにバイトの人件費を柔軟に活用することで自らの給料が痛むのを最小限にしているようにしか見えない。文中の表現を借りれば、いわば投資に失敗したことによる強制ロスカットであって、その際には胴元は子のことなど考えない。これがバイトであるとはいえ、仕事は仕事。その仕事に対してこの措置が素晴らしいことなのだろうか?非常に違和感がある。



結局の所、この記事を読んで僕が嫌悪感を感じた理由の1つは、もちろん厳しい目標設定がありそれが嫌だと言うこと。甘えてるという指摘は受け入れるけれども、ともかくそういうことだろう。ただしそれは唯一の理由ではなくて、それ以上に文中に登場する店長A氏が、クルーを持ち上げ褒めちぎっている割には人間としては扱っておらず、店舗の利益と自らのために平気でそれを切っていくと言う方針で仕事をやっており、そのどぎつさを「ゲーム感覚」という言葉で誤魔化して誇らしげに披露していることが気持ち悪くて仕方がないのだと。

今の時代、利益を上げ続けるにはこういうブラックで非人間的な手法に頼らざるを得ないのだろうか。そうなのだとしたら仕方のないことではあるけれども、でも僕はそんな社会は好きになれない。