携帯電話、黎明期。


携帯電話の歴史について、Wikipediaでは以下のように書かれています。

携帯できる電話の開発する具体的な研究は古くから行われてきたが、電波のノイズの問題やバッテリーの問題、また通信速度などの多くの問題により電話機が非常に大型になってしまうため、実現が困難であった。

1960年代になると、両手で持ちながら会話できる程度まで小さくすることが(後略)

実際にビジネスとして利用できる形でサービスを開始したのはAT&Tとモトローラであり、日本においてだったようですが、その前段としての実験機 ―― つまり上記引用部分の「古くから行われてきた」「携帯できる電話の開発する具体的な研究」 ―― については、当然当時のもう一つの超大国であったソビエト連邦でも開発が進められていたようです。

というわけで、そんな黎明期の携帯電話をどうぞ。

Была ли в СССР мобильная связь (7 фото + текст) | Webpark.ru – юмор картинки фото, приколы видео онлайн, комментарии к фотографиям


まずはこれ。


開発の開始は1958年、名称は「アルタイ」。トランシーバーと違って双方向で話をすることが出来、それぞれ電話番号が割り当てられていたようです。実際に実用試験が行われたのは1963年。移動する車の中でも繋がった…とのことですが、いくら繋がったってこのデスクトップじゃねぇ…(苦笑)なんかドラマなんかでありがちな、「盗聴している奴ら」がワンボックスにこんな感じの積んでますよね。


一方でアメリカの移動電話はこんな感じ。


アタッシュケースに入ってますね。システム的には、自動車電話かもしれませんが、ソ連のそれと比べると明らかに商品として洗練されています。ボタン数の少なさ(もしかすると電話番号の少なさかもしれませんが)に時間の流れを感じます。


ソ連ももちろん負けてられないってことで、オリンピックを気にアンテナを設置してみたり、


それまでラジオの帯域を使っていたものをきちんと規定して安定してサービスできるように環境を整えていきます(それにしてもこのアンテナ、明らかに特撮ものの悪の組織の本拠地ですけども…)。


そして1980年代に入って満を持してリリースしたのがこちら、アルタイスリーエム。


おおお、ちょっとなんか移動電話っぽくない?
ビジュアルから察するに、電話番号はあのボタンを一つずつぽちぽち押していって掛けるんでしょうか…リング式でもない、プッシュ式でもない、携帯でもない、なんか今まで体験したことのない電話の掛け方ですね…なんかちょっと良い感じです。昔のテレビを思い出します。


その後、モスクワだけだった実験領域を広げて本格的な普及に向けての開発がスタートしますが…時代は1980年代後半。そろそろソ連もきつくなる頃で、資金不足もあり計画は遅れ気味、結局ペレストロイカ→ソ連崩壊という流れの中、ソ連の移動電話は移動電話のまま、携帯電話に発展することはなかった…ようです。

もちろん現代では、ノキアなどの企業と契約することで端末を販売することが出来るので、自国で開発した物かどうかは余り関係ないのですが、若干色合いの違う製品に仕上がったかもしれないなーと考えると、ちょっと残念な気もします。



携帯電話のその後については特に今さら書くこともないのですが、移動電話から携帯できる形状へと進化したのち軽量化が加えられていき、


最終的に真に携帯できる携帯電話として1980年代初頭に販売が開始されました(エントリトップの画像が1983年発売のモデルとのこと)。ちなみにこの機種の重さは794グラム、バッテリーは通話で1時間、待ち受けで8時間。気になるお値段の方は3995ドル!!当時はかなりの円安(230円前後)なので、日本円に直すと…なんと92万円!消費者物価指数(1983年を100とすると現在は119あたり)を勘案すると、約110万円…

いやぁ。テクノロジーの進歩って素晴らしいですね。。