うっかり見落としていたのを、同居人が知らせてくれたので。
作ってて良かったRSS。
・既製服を、仕立てられたもののように着こなす。
 そういうことが、ことばの世界でもあります。
 たとえば、「おまえが好きさ」というのも、
 「愛しあってるかい」というのも、
 どこにでも転がっている安価な既製服です。
 そして、それを、ほんとうに見事に着こなすと、
 なんだかとても素晴らしいものになります。
 
 ありふれたものを、
 素晴らしいものにまで輝かせるためには、
 安っぽい既製服であることを、わかっていて、
 そのことを隠さずに着こなすことが大事です。
 その安い既製服をメディアにして、
 そのうえに、じぶんだけのたましいを乗せるのです。
 どんな服でも、おれが着たら、おれの服なんですね。
 
 若い人というのは、そうやって、
 じぶんを伝えるんだと思うのです。
 それをロックと言うのかもしれないです。
 道端に落ちているものに、じぶんのなにかを乗せて、
 「なんだかすっごいもの」に変えちゃうなんて、
 誰にでもできるはずで、なかなかできることでもない。
 道に落ちている石ころが、心臓に当たれば、
 人が倒れてしまうくらいの力になります。
 
 忌野清志郎という無口な人が、
 「ありふれたことば」に乗せた、
 豊かで若々しいたましいは、
 ぼくにもずいぶんたくさん当たって、
 ぼくは何度も倒れました。

 やっと、好きだった歌を聴いたり、
 歌詞を思い出してみたり、友人と語ったりが、
 できるようになりました。
 しかしなぁ、誰かが「いなくなる」なんて思って、
 ぼくらは生きてないものなぁ。
 ひとりのファンとして、この先も、
 キヨシローくんのいいところを発見し続けたいです。
 音楽は、生きているまま、ぜんぶ残ってますから。


どんな服も、着る人が現れるまでは既製服なのだなと。
だから、既製服であることがその価値を決めたりはしないんだろうと。

そんなことを思いました。