モテ期。

よく言いますよね、モテ期。
高校の頃はモテたんだけどなーとか、20歳の頃よくモテたとか。

僕自身、今ざっくり思い返してみてあんまり実感がないので、
自分がいつモテ期だったのかよくわからないけど、
(どっかでそんなこと書いてたっけか)
色んな人にその当時どんな状況だったかを聞くと、
モテ期における『モテる』っていうのは、相対的な意味合いが大きいんだなーとか。


“相対的な意味合い”ってどういうことよ?って感じだけど、
つまりは、そのときの環境(立場とか周りにいた同性とか)において、
相対的に自分の価値が上がっていた、っていう。


例えば、先日聞いたのは、こんな話。

とか。


もちろん、だからといってその人本人の魅力が減じるとかいっこもなくて、
中学時代も高校時代ももちろん今も、魅力という点では十分だと思うんだけど、
ただ、モテ期だから魅力的になった…というわけでもなくてさ。
逆に言えば、モテるかどうかなんつーのは要するにたまたまであって、
魅力を磨くのはモテるかどうかとは関係なくしてなあかんってことだよね、っていう。

モテる、という状態が常に周りと比べた相対的なものである以上は、
相手が自分より下であったり他に対象がなければ自分が注目されるし、
未知の人間が出現したときにそれに負けないように磨いておかなあかんし、
仮にもてなくなったとしてもそれは仕方のないことで、
自分には特に責任無いこともあるよって言うね。



んでもって、『相対的』を念頭に置いてもう1個考えると、
例えば個性的すぎて周りとの比較が成り立たないような人の場合には、
モテるとかないんじゃないかとか。

顔とかスタイルとかではなくて、その人しか持ち得ないもので、
しかもそれが凄く心地よいってものを持ってる人っていると思うんだけど、
そういう場合、もうなんて言うか他では手に入らない訳なので。
その要素自体が他人を引きつけてる場合には、
その人の注目され度合いってのはあまり環境で左右されることはないよね、とか。

もちろん、例えばもの凄く天然な女の子がいたとして、
学生時代だったらその素養がたくさんの男性を引きつけるかもしれないけれども、
社会に出たらそれがダメな社会人の典型に見えて魅力が減じられたりとか、
(でも、仕事によって変わるし、オフの時は別だったりもするけど)
なぜか職場全体が天然だらけの職場であんまり映えなくなったりとか、
まぁ、相対的でない能力と言っても曖昧ではあるんだけどさ。


ただ、相対的な意味で相手を押さえて目立つようなモテ方よりも、
人にはないものを持つモテ方の方が、息は長いかもしれないね、とかね。


僕はどうなのか(個性的だからなのか、単にモテないだけなのか)、
よくわからんけどね。