良い馬は騎手を教育するか。


小飼弾さんのエントリから。

404 Blog Not Found:職場の怒りは現金払いで
良い馬というのは、騎手を教育するものだそうだ。これは一度馬に乗ってみれば比喩抜きでわかる。騎手の立場になって考えれば、突然騎手を振り落とすタイプが最も恐いということも自然とわかる。

弾さんのエントリの本筋とは全く関係ない引用です(苦笑)


まぁ、どうでもいいんだけど、馬と騎手の関係について少し書いておこうと思って。

本筋の職場でどう抗議するべきか、と言う話については本当に興味深かったけど、
エントリとしては触れない方向で。


さて、弾さんの言葉を整理してみると以下の2点にまとめられる。

  1. 良い馬というのは、騎手を教育する
  2. 騎手の立場になって考えれば、突然騎手を振り落とすタイプが最も恐い


まず1点目。

良い馬が騎手を教育するか、教育するとすれば何を教えてくれるのか。

ここでの“良い馬”というのは、歩様や運歩や跳躍力ではなくて、
扶助に対して敏感で人間にその技量さえあれば思うがままに動かせる、
という感じの意味合いで使われていると思う。
そういう良い馬は、敏感であるからこそ、正確な扶助でないと正確な動きをしてくれない。
そのことは2つの利点を騎手にもたらす。


1つは、正確な扶助を学ぶことが出来るという点。

正確な扶助は悪い馬でも同じように(むしろより効果的に)効くけれども、
悪い馬で覚えたいい加減な扶助は良い馬では効かない。
それを覚えることは大事なこと。


もう1つは、正確な動きを学ぶことが出来るという点。

正確な扶助と正確な動きが1対1で結ばれているからこそ、
ある課題(例えばピルーエット)をこなすときにはこの扶助でこの動き、というのが分かる。
悪い馬に乗っていると、扶助が分からないだけでなく、
その動きがどの程度正しいのかもよく分からない。


またそうした2点に基づき、騎手は正しい動きに対する自信を持つことが出来る。
自分の下に確かに正解があるという自信は、悪い馬とでは醸成できないし、
そのことはどの競技(馬場馬術であれ、障害飛越であれ、総合であれ)においても、
パフォーマンスに大きな影響を与える。

ってか、関東私立大学の馬場馬術って悔しいほど綺麗だったなぁ…
いやもちろんヨーロッパのトップライダーなんてさらに美しすぎるんだけど。



次に2点目について。

突然騎手を振り落とす馬…には二通りの解釈がある。

1つは、上に乗った人間を振り落とす癖のある馬。
ないしは非常に臆病で少しのこと(鳥が飛び立つなど)で暴れる馬。
そうした馬は初めから乗馬に向いていない。
だから、1点目と同じ乗馬というカテゴリで括るのは少し難しい。


もう1つは、馬は必ず暴れるものであるという認識。

元来が臆病な動物であり、慣れないものが極端に苦手。
物覚えが良く、嫌な思い出はトラウマになりやすい。
もちろん品種によってその程度にはかなり差があるのだけど、
(例えばハノーバー種とかは馴致しやすいと思う)
基本的には生まれたところからの馴致の積み重ねが、
突然の出来事に対して動じない性質を作る。

とはいえ、どんなに慎重に調教された馬であっても、
突発的に何かに驚くというのは良くあること。
騎手は馬に乗っている以上、
それが常に起こりうることを頭の片隅に入れておかなくてはいけないし、
実際にそれが起きたときにどのように上手に落馬し、
身を守るかを知っていなくてはいけない。

だから、全く騎手の認識無く突然暴れて振り落とされるというのは、
回避不可能な突発的な出来事が起きた場合か、
騎手に何らかの油断があった場合だと思う。


そういう意味で、それを騎手が怖いと思うのは少し違うかなと。
怖いと思って乗っているか、仕方がないことと諦めるかどちらかだから。



なんてことを、学生時代に戻って思い出したのでした。

あ、北京オリンピック…馬術競技だけは見ようかなぁ…
(オリンピックでもないと放映されないし…とか日和ってみたり)



追記。

しまった、書こうと思ってた大事なことを書き忘れてた。


良い馬が良い騎手を作るのは上で述べたとおりなのだけど、
良い馬を作るのは良い騎手なのだ、ということ。

これはもう、鶏と卵みたいなもんだけど、馬の寿命に比べると人間の寿命が長いから、
経験豊富な騎手が育てた良い馬が、若い騎手を育てるという循環になる。
騎手視点で言えば、良い馬で育てて貰って、今度は自分がよい馬を育てるという感じ。
“KING OF SPORTS”ここに極まれり。

また一方で、拙い騎手は良い馬をあっという間に壊す、というのも事実。
ハミの具合1つで馬は駄目になる。
若く上手でない騎手を乗せた後に、経験豊富な騎手が“直す”のも良くあること。

だから、常に良い馬に乗ればそれで万事OKというわけではない。
馬と人間との関係は、相互補完していく微妙なバランスにあると言えると思う。