これはひどいね。

新人は“禁煙詰め寄り”儀式 (略)  筆者は新品のノートを渡す前に「ご苦労さま。ところで、君たちはタバコは?」と単刀直入に尋ねた。1人は「吸いません」。もう1人は数秒の沈黙の後で「……吸います」。毎年着任してくる新人の割合から言えば、タバコの喫煙率は50%程度だっただろうか。

 「ああ、そう。じゃ、今日から禁煙にしてくれないかなあ」「……」。いきなり禁煙を切り出されては、いかに優秀な新人とはいえ即答できない。この間、筆者は机の上で握り締めているペンの先を見ている。毎年恒例だが部内が一瞬静まり返る。数秒後、ようやく「分かりました。止めます」とポツリ。「そうか、よかった。おーい、みんな、X君は今日からタバコを止めるって。よかったね」と言うと、部内の女性たちが3名ほど拍手することになっていた。「ウエルカム」と筆者は新人たちと握手をして、タバコと100円ライターを自主的に廃棄させる。

 

何が酷いか?
上司という上の立場から、禁煙を強制すること?

いやいやいや、そんな青いことは言いませんよ。
そういうのが必要なときもあるでしょ。
あとで、真意を説明できるんなら、別に構わない。

まぁ、個人の倫理観に依るんだけど、
それでも僕は、この『文章』のことを、酷い、と思うのね。

この人の、この儀式の真意は何だろう?

新人教育と言っているくらいだから、
禁煙を『宣言させる』ことが目的なのかな、とも思ったけど、
『受動喫煙することも減る』と書いてるし、
文章を読む限りでは、禁煙をさせること、そのものが真意なようだ。
『海外で差別されているから、新人に…』は話の筋が通ってないし、
結局は筆者が、喫煙者を好きでない、ただそれだけのように思う。
どこが教育なのか、(文章の上では)理解に苦しむ。

そもそも、受動喫煙が減る…この場合の受動喫煙は、会社の人間?社会の全ての人間?
仮に、会社の人間(拍手させた女性社員など)なら、
社内禁煙にすれば済む。
社会の全ての…だとしたら、大きなお世話だ。

海外で喫煙者が差別されていると言っても、
例えばアメリカでは、屋内で禁煙が厳しくなっているだけで、
喫煙そのものが禁止されているわけではない。
逆に、屋外では(まぁ州に依るだろうけど)日本の一部の区ほど厳しくない。

要は、場所をわきまえろ、ということであって、
そして、それをわきまえることが新人として(大人として)必要なのであって、
禁煙を話のポイントに持ってくるのは、
そうした、社会人としての自覚や、人間として他者を考えること…などの要素をすっ飛ばして、
喫煙してもらいたくないという自分の論理に、話をすり替えているだけだ。


大事なことは何なのか?

受動喫煙を減らすためには、禁煙じゃないはずだ。
その人間が、自己の責任で健康に害をなすことは止めようがない。権利もない。
権利はあると主張するなら、そのように契約する必要があるし、
契約がないなら、それはパワーハラスメントに他ならない。

もし、自分の意見をはっきり言うと言うことであれば、
(要は、この筆者のように、要望をはっきりと告げる)
その後の、受動喫煙云々は蛇足だ。


僕が酷いと思うのは、
そう言う大事なこと、と言う建前を取りつつ、
実は、我田引水な結論で文章を締めていることだ。

この文章には、新人教育と言いながら、その部分だけしか表現されていない。
だから、仮に他に大事な物があったとしても、
この何が大事なのかを、きちんと書けていない。

悪いけど、新人教育ではなく、嫌煙家の広報活動以上の価値がない。

喫煙に対する立場を書きたいのは分かるけれども、
話の主題はそこではないわけだから、その部分は切って、
それぞれの儀式の中身に焦点を当てて書き直した方が良いんじゃないですか?

それなら僕は読みたいと思う。