自己中心的なことや、筋の通らないこと、誠実さを損なうことに対して、
どうも『平均』以上に、過敏に反応してしまうらしい。

4/3早朝mixiに書いた文章の中で、
── その文章は、考えていたことと思いついたことをつらっと書いたものだ ──
やっぱり同じようなことを指摘して、
しかもつらつら書いちゃったもんだからそのロジックがわかりにくくて、
理解して貰えなかった。
ただ、ステレオタイプに基づいて不快な批判をしているのだと思われたみたい。


でも、そういうことじゃなくて。

まぁこれは、指摘をしてくれた人とメールしてる間にはっきりしたんだけど、
意図と、結果の違いを、どう認めていくか、と言う部分において、
客観性と誠実さを求めているみたい。僕は。

他の話でも同じなのだけど、今回の件、結果として、
その件の関係者が主張する『つもり』(=意図)と、
同じく主張している『実態』(=結果)が、どう見たって、矛盾している、
ないしは結果が意図に沿うように歪曲されている、と思えた。

仮に、その関係者に悪意があったのなら、とっくに諦めてるけど、
まぁ…そうは見えなくてね。

ただ、そう言うことに無自覚なまま、
『僕らはそういうつもりでやったから間違ってるわけ無いだろ』的、
主張をしてて、それは違うだろうと。
その辺に違和感を感じて。


あ、これ書いても誰も分からないけど、
誰も関係者が指摘してくれないんで書くけど、

じゃあ、それをわざわざわかるように主張したのは、
その違和感が気に入らなかったからなのかい?と聞かれれば、ノーだ。

本当の問題は、そこじゃないんだよ。

この、結果を引き起こすコトになった大元の問題、
それが、関係者が思ってるよりもずっとセンシティブなことで、
もっと言えば、僕が最良と考えていたその問題の解決シナリオからすると、
結果が全くナンセンスだったから、なのだよな。


僕はさ、相手がどんなにエキセントリックで、非常識だったとしても、
平和的に解決する方法はあると思ってたし、
実際に十二分に可能だったんだよ…。
(これ以上書いても仕方がないけど)


話をこのエントリの頭に戻すけど、
結局、そういうことをそこまで考えて行動してる僕が異常なんかな、と。
多少自分の言動(意図と結果)がずれてたって、
気にしなきゃ問題ないよ、みたいなノリになるべき何かなと。

僕が思ってる、僕の見てた光景は、そんなんじゃなかったんだけどなぁ。


そこが、結局のところ一番の違和感なんだよなぁ。
うまく、その辺りを伝えられると良いんだけど。