『記者』って驚くほどそこら辺にいる職業なんじゃないかと、

TBSのJ-CAST取材拒否を読んで思った。

この放送は一体なんだったのか。J-CASTニュースがTBS広報部に問い合わせたところ、「これ前にも言いましたけど、そちらにはお答えしないということになっておりますので」と、またしても取材を拒否された。
 

ちなみにJ-CASTニュースでは、この問題が各紙に報じられた後の4月9日にもTBS広報部に問い合わせをしているが、

「前にも言いましたが、一切お答えしません」
と、相変わらずの答えだった。
 


いやまぁ、どういうおつもりか全く分からんけど、
多分、自分たちは取材する方で、取材される側ではないと思ってるんじゃないかと。
自覚してそう思ってなかったとしても、
取材されることへの、何つーか違和感みたいのがあるんじゃないか。

正直言って、いつも“取材班”がやってるのと同じことを、
TBSがやられてるだけなんだが、それを嫌がるのがよく分からん。

記者ってのは、まぁ仲が良いかどうかはともかくとして、
ある程度、どこの局の誰々、どの新聞のあの記者、みたいに、
一定のコミュニティを作ってる人々だと思うわけ。
まぁ、例えば政治部であれば、議員会館なり、
国会なりで顔を合わせる機会も多いわけだし、
自然とそうなるんだと思うけど、
でもさ、メディアってのは、そこで把握できる人たちだけじゃないわけだよな。

週刊現代、なんかだと、フリーのライターも多くいて、
ある程度名を知られたりしてるかもしれない。
新聞に比べれば、地位ははっきりしてないけど、
もう十二分にこなれてきていて、ある程度認識もされてるかも。
コミュニティに片足つっこんでるくらいの。


でも、J-CASTとか、それこそ、JANJANとか、
そういう発表媒体がネットの、そういうメディアの人間を、
自分たちと同じ記者だと見なせないんじゃないかと。

実際には、GIGAZINEなんかもそうだけど、きちんと取材をし、編集してる人間がいて、
下手すると近頃の新聞よりきちんと掘り下げて書いてる人もいるし、
記者を、テレビや新聞に属している人間…ではなくて、
ニュースの現場を取材し、それを読者や視聴者に届ける人間だとするなら、
彼らももう相当に立派な記者のはずなわけで。

既存のメディア、まぁこの単語自体既に死語だと思うけど、
要は新聞やテレビが認識している、『取材する人間』は、
結局全部身内の人間で、
そこに、自分たちが知らない人間がやってきて、取材をし、
彼らの視点で物を書いて発表する…そのことに、
いわゆるムラ的反射で、拒絶してるんじゃないかと。

なんかそんな風に見える。


仮に、相手が大手メディアの取材班であれば、だ。
当然、いかなる問題についても一社丸ごと取材拒否なんてしないだろうし、
『後日発表するからノーコメント』くらいだろう。

どうも、書く相手を見て、その人間が何を書くかを事前に予想した上で、
コミュニティの中で馴れ合ってるだけなんじゃないかと。

実際に書かれた物を見て、
ああ、読売ならこの程度は書くよな、とか、そういう程度であって、
ま、朝日はそういうけど、アレはほら左に偏ってるからとか言って、
自分で分類して、スルーできる、
そういうぬるま湯の中で、だらだらやってんのが、この体たらくなんじゃないの?


気付いてないかもしれないけどさー
J-CASTも含めて、今や、記者を名乗れる人間なんて大量にいるのよ。
別に、TBSの専売特許でもなければ、
TBSを取材できないことで特に困るわけでもない。

僕が読んでる限りで言えば、J-CASTは、きちんとしたことを発表すれば、
それをきちんと書くだけの良識を持ち合わせてるメディアだと思うし、
傷をなめてくれる会社に情報をリークするよりも、
よっぽどきちんとした危機管理になると思うんだけど。

結局のところ、あらゆる意味で、TBSの発表は、言い訳と逃げと責任転嫁だし、
痛いところ突かれて逆ギレするなんて、言論を武器にする人間のすることかと思うよ。

仮に、TBSが間違ったことをしてないんであれば、
それを論破してみて欲しいね。
そうしたら、僕はそれを信用するよ。


そんな会社に、政治を論じる資格なんか無いね。

だって、やってること同じだもんよ。