学習指導要領の変遷

友人のブログに気になる記述があったので、調べてみた。

ん?高校中期(2?3年生?)から社会は1科目しか受けてなかったような….どうも世界史しか無かったような、ん?日本史受けてたのかな。もしかしたらウチの高校も同じ「履修不足」問題に該当するのかもしれない。人ごとではない気がしてきた(汗)。

彼とは同い年で、かつ僕も同じ記憶なので、同じく気になってきたわけだが(苦笑)


Wikipediaの『学習指導要領』のところに、
驚くほど綺麗にまとめられていたので、それを参考にしてみる。

学習指導要領 – Wikipedia

僕が高校に在籍したのは、多分、1992年?1994年。
その年代で学習指導要領を調べてみると、『1992年?』のところは、
地理歴史:世界史A、世界史B、日本史A、日本史B、地理A、地理B
公民:現代社会、倫理、政治・経済

高等学校の地理歴史科は、世界史AまたはBの1科目、日本史AまたはB、地理AまたはBから1科目を必ず履修。
高等学校の公民科は、現代社会の1科目または倫理、政治・経済の2科目を必ず履修。
となっており、
うわっ!と思うけど、これは間違い。
便宜上、1992年?という表記になっているだけで、
1989年に決定し、小学校で1992年から、高校では1994年度から実施された。


ふう。


そういうわけで、僕らの学習指導要領は、その1個前の『1980年?』の部分。
高等学校の学習指導要領は1978年に告示され、1982年度の第1学年から学年進行で実施された。
ふ、古い(苦笑)

それによると、社会に関する部分は以下の通り。
社会 現代社会、日本史、世界史、地理、倫理、政治・経済

高等学校の国語I、現代社会、数学I、理科I、体育、保健は必修。
現代社会が必修な他は、特に単位数の縛りはない。
現代社会は多分、高1の時にチョロッとやるんで大丈夫。
(それやってなかったら知らないけど)


まぁそんな感じでね。
無事、疑惑は晴れたのでした。


* * *



ところでこの問題に関して…

って書こうかと思ったけど、最近、
なんだかえらい重い雰囲気のサイトになりつつあるので(そんな意図はないんだけど…汗)、
少し控えめに。
(無理かもしれんけど)



責任は何処にあるのか?って話、前提次第だよな。

ルールが例え間違っていようとも、
ルールが決められている以上それに従うのが義務、ということであれば、
責任は、高校(教師と生徒)にあるわな。
単位数は、生徒を対象に決められているわけで、最終的には、生徒の責任ではある。
但し、大学との違いは、教師…というか授業計画を立てるという意味で、
『学校』が、生徒の単位管理を実質的に請け負っていて、
かつ、生徒にはその選択の自由は、学校の計画外以外にはない。
自分で履修不足に気付いても、それを補う方法は示されていないわけで。
そう考えれば、まぁ日本で良くある、『ルールには明文化されてないけど実質的に』ってやつだ、
責任の所在は、学校にあるってことになるんだろう。
意図的にせよ、そうでないにせよ。


もし、2003年度からの学習指導要領の周知が出来てなかったと言うことであれば、
監督官庁である、文部科学省にも責任はあるわな。
今、高3の生徒って要は、この要領になってからの生徒なわけだから。
そういう視点で言えば、
『(周知が上手くできてなかったから)今年に限っては救済する』と言う理屈が成り立つけど、
文部科学省は、ルール自体は問題ないのに、
自分とこも悪いって言わなきゃならない。


仮に、今年に限っては別に良いよ、と言うことになったとしたら。
(実際には校長権限で軽減とかそんなだったけど)
それはそれで、ルール的に整合性とれんのかと。
他の学校とか、大検の人とか、いいのか?と。

受験シーズンなのにどうこうっていう意見が多々見受けられるけど、
良いか悪いかはともかく、教育計画って受験を前提にして作られているわけじゃないんで。
受験生が可哀想、と、国に文句を言うのは筋違いも良いとこ。
世の中には、可哀想だけど、ルールはルールで裁かれる人は沢山いるのよ。
駐禁だってそんなもんでっしょ。

そもそも、学習指導要領は公開されてて、
学校の授業計画も公開されてるんだから、
その2つから適切かどうかチェックすることは可能だったわけでしょ。保護者だって。
普通はしないだろうけど(僕もしようと思ったことすらなかった)、
でも、可能であることは、責任の所在に対して非常に重要なことで。
『可能である』という事実だけで、保護者は責任を負いうるでしょう。ルール上は。



ぶっちゃけて言えば、僕は教育者でも何でもないので、
別に今年くらい大目に見てやりゃいいじゃん、と思うけれども、
同時に、ルールがある以上、平等性も確保できないとね、という気はする。

なんつーかさー、例えば、
『1週間を上限として、不足単位に応じてボランティアを義務づける、時期は卒業後1年以内』
とかそういうことをして、
少しでも、『教育』にフィードバックするチャンスをつかめないかね、と。

ハードな受験を自分もした身として、
受験生だからって甘えんな!とは口が裂けても言えないけど、
(あのセンシティブな状態は異常。親も子供も)
今は『問題』のこれを、何らかの『経験』に変えて、
今後の人生を生きていけるようにしてあげられれば、
一番良いのにねぇ、と思う。