こう書くと本当に偉そうで嫌になるけど、
でも実感として、
自分より年下の人間が、
過去、僕が悩んでいたことと同じような種類のことで
悩んでいる場面に遭遇することが、増えてきたような気がする。
だからといって僕が、過去(または現在)、
その問題を理想的に解決しているわけではなく、
その年下の友人に対して何のアドバイスもしてあげられないのだけど、
そういう、年下の友人の中に過去の自分を見る、というような、
ある意味、既視感に近い感覚を覚えるに付け、
自分が年を取ったのかもしれないなぁ、と思う。


そう思うと、世の中の『大人達』が、
自分より年下の人間に対して、
さして理由もなく偉そうにしていることも、
何となく理解できるような気がする、要は、

『ああ、それね、俺も10年前に同じことを思ってたよ』

という、優越感のようなものなのだろうな、と。

んで、年上の人間が年下の人間の悩みを理解しているかというと、
実際には半分くらいなんだよね。
人も状況も違うわけだから、
悩みの構造部分については理解できるけど、
(例えば、20代前半で漠然とした不安を持つ、とかだ)
問題自体は理解してあげられないし、
説教とか、アドバイスとか、んーおこがましいよなぁ。と。
結局は、自分で悩むほかないからね。


昔も今も、そうした態度を取る人に対しては、やっぱりむかつく。

いわゆる、『メタ化』と言われているような、一般論的な論理展開、
俺もそうだったからお前もそうだろ的、
個々の特性を無視した、
あたかも、自分の性格や状況は重要じゃない、と言われているような、
そんなことを感じさせられるからなんだろうな、と思う。
僕とあなたは違う、と。


でも気づけば、同じように、
年下の友人に対して、偉そうに振る舞ったり、
『お前、分かってないよ』
とか言って誤魔化したりしてる自分がいて。
過去の自分に指摘されるまでもなく、
分かるように説明するか、もしくは黙っているか、
適切なのはのどちらかであって、
わざわざ挑発したり、軽蔑したり、
(そして遠回しに自己満足したり)
そんな必要は全くないんだよな、という。


年齢関係なく、自分ではない人間と話すことは、
本当に様々なことを教えられるし、刺激になるけど、
それとこれとは別問題。
わざわざ、お節介焼くために出張る必要はなくて、
相手が何かを行ってきたときに、
初めて一緒に考えてやれば良いんだろうな、と。

それはつまり、本当にわかる大人と話すためには、
勇気を出して相談し、尋ねないといけないんだけど。

難しいね。