アカデミックな人々。

先日、後輩何人か(大学院生)と飲む機会があった。
そのとき、何か違和感を感じたんだが、それが何だったのか、あんまりよく分からなかった。
もちろん、僕自身に、アカデミックなことに対して、
なんらかのコンプレックスがあるだろう、
ということは申し上げておかなくてはいけないが、それにしても何かおかしい??

いろいろ考えてみるに、
どうも、大学院へ進んだ人の半分くらいはそういう病気にかかるような気がするね。
なんだろうな、僕自身も結構そういう人間だったけれども、
大学入るまで(大学入ってからも)、
社会というものとの接点が全くない、そういう人間が結構多いわけですよ。
バイトすらしたこと無いとか、小学生の頃から受験勉強ばっかりしてたとか。
(そうじゃないヤツもたくさんいるけど)

まぁいずれ就職して、社会を知ることになるんだが、
そのときのショックといったらないよな。
23-25くらいって、人生の先行き不安とか、
まぁなんかいろいろ不安を抱える時期ではあるんだけれども、
そういうのって結局、社会と自分という関係を始めて持つことによるショックかな、なんて。

でさ、そう言うタイプの人間が、研究者を目指して大学院に進んだとするよ、
大学院てのは…学生に比べると圧倒的に社会に近い、
教授、助教授の政治的話やら、同分野他大学の評価や噂、
いつまでもポスドクな先輩、理不尽な予算配分やら、
成果と評価を求められなかなか応えられない自分…。

まぁ、社会の濃度としては、普通の社会に比べれば全く薄くて
正直言って、コーヒーのアメリカンみたいな感じだと思うんだが、
それでもそれまでに比べたら多少は苦い、
そういう時ってさ…鳥の雛の刷り込みじゃないけど、
やっぱり、なんらかの価値観にはまりやすい時期だと思うのね。
選択肢もないし、他の選択肢があるとも思ってないから、
目の前のものがベスト且つ唯一だ、と。

その価値観自体は多種多様だろうし、
良いとも悪いとも言い難いけれども、どうだろうね?
一番の問題は…やっぱり、自分以外の人間に気が回りにくくなることかな。
もちろん、大学に入ってきたばかりの頃から知ってるわけだが、
昔に比べると、他人とコミュニケートする能力が若干、減退しているような。
自分自身の考え方に自信を持つのは大事なことだけれども、
自分自身の考え方を自分のものにするためには、
実は他の考え方を知る必要があるんだと思うんだよね、
そういう過程を経ない限りは、
どっかから借りてきたような考え方の寄せ集め、でしかなくて、薄っぺらい。
教授の受け売りとかね。
話の内容は素晴らしいけど、どうも何か違う。

彼らは、研究が出来ればそれで良いのだろうから、
僕がぐだぐだ言うことではないんだけれども、
なんだかなぁ…何か見失ってないかい?


あんまり、ステレオタイプをすり込むのは良くないなぁ、とは思うんだけれども、
アカデミックな評価と噂で汲々としている人たちが、
もの凄く矮小で滑稽に見えたので、書いてみた。
昔は自分も所属したいと思っていたはずなのに、今はあんまり好きになれないな…