『自分の過去を振り返ってみる』
なんてことを、やってはいけませんよ。
過去が美しかろうとも、悲しかろうとも、
現実に戻ってくるのに時間が掛かることはわかりきっているし、
いざ戻ってきてみたところで、元気になっている可能性は万に一つもないのだから。

そういうことを分かった上で、振り返ってみる。
というのも、僕がこの部屋へ引っ越してきて、1年が経ったから。
1年前と言えば…なんだろうね、ちょうど自分の人間的な部分で、岐路に立っていたというか。
これは何度も書いたり、喋ったりしてきたことなんだけど、
それ以前の僕には、良い意味でも悪い意味でも、対外的にも、対内的にも、
妙なこだわりがあって、
それはとても一言では言えないようなことだけど、何か絶対的な基準に照らして
気に入らなければNO、そんな感じだった。
だから、自分がしたことが許せなかったり、状況に満足できないと、
すぐにブルーはいるような。
自分の想いと、現実との妥協点を見つけるのが、凄く大変な時期だった。
『時期だった』というか、
15,6あたりからずっとそうだったんだけど。

でもなんかね、どこかで気付いたんだよね。
正直に言うと、何か一つの『人生イベント』がきっかけになっているわけじゃなくて、
全体の流れの中で、
あぁ、別にそこまで求めなくったって良いんじゃないかね?と。
もちろん、辛いことは嫌だし、損するのも嫌だし、嫌いな人間は嫌い、
そうなんだけど、それを嫌だ、と思わなくても、
自分がそう知っていればいいわけなんですよね。
その瞬間、それに対応して、それから少しずつ、考えていくみたいな。

最初は、これは、単純に、愛想使って現実逃避してるだけで、
後でどどっと悩みが来るんじゃないか?なんて思ってたんだけど、
1年経って考えてみて、案外そうでもない。
そりゃね、話し合わせすぎて疲れるときもあるし、
こっちの状況を見ずに、押し寄せてくるような関係もあるよ、
でもまぁそれはそれで、相手のいることだから、話せば分かる。
話して分からないんじゃ、関係を諦めるほかない。
“体の表面で話して”いれば、何も起きない。

そうするとね、昔はすっごく長く考えていた、
『嫌なこと』や『嫌なもの』(本来自分の中にあってはいけないもの)のことを、
比較的すぐに忘れて、気にしないようになることが出来た。
不思議なもんだよなぁ。
忘れようと格闘していたときには全く出来なくて、
内包しようと構えた途端に、自分の中からは無くなるようになっていったんだから。

クラブや、会社や、その他様々なところにいるときに、
凄く楽になれたと思う。
2003年より、ずっと、多くの時間、笑顔でいられたのが2004年だったと思う。
飲みに行くのも、愚痴を聞くのも、
どんなコミュニケーションでも、
取り込んで自分の中で自問自答して回答を出すんじゃなくて、
相手と話して決める。
そんなことが出来るようになったんじゃないか、と。

相変わらず、年下の友達は多いんだけど、
そういう友達は、多分、まだ悩んでいるんだと思う。残念ながら、そういう『年頃』なんだよね。
もちろん僕とは、考え方も、悩みの中身も違うけど、
いずれ、全てが楽になるときが来る。

僕自身はこの状況を、諦め、と表現してるけど、
決して、上手く行かなくてもいい、と思ってるわけじゃない、
ただ、『ヤりたい』ってだけじゃ、ヤらせてくれない、ってことさ(笑)
1を失っても2を取れば良いんだから。
最終的に何が大事なのか、を、考えずに分かるようになってきた、ということかな。

男は、年を取っても綺麗になることはほとんどないし、
殆ど全ての男はただオヤジになっていくわけだけど、
だからといって、人間的魅力が無くなるわけじゃあない。

ネガティブに生きてきた人生の中で始めて、
ちょっとはマシになれたかな、そう思ってる。


そんな、1年でした。