『なんとなく』を言葉にしていくのも学問だ、
と、大学の先生が言ってたらしい。何となく(!)なるほどなーって思う。まぁ、そういうことの定義はいろいろなのだけど、取り敢えずそういうことにしておくと、例えば僕はいつも学問してるかも?ホントか?

人って、論理的な人だって、頭の中で考えをいちいち構築してるのかな?ってちょっと思う。そんなわけはないと思うのだけど、だって、過程ぶっ飛ばして答え出る時ってあるよね、さすがにアインシュタイン程じゃないにしても。→彼は数学の問題の答えがパッと分かって後から証明してたらしい。だから、みんながそうじゃないんだって気付いて、証明をするようになるまでは成績悪かったって話。先生が理解できないよなーいきなり答えだけ言われて、なんでか説明できないんじゃ…。

いや、この際、天才はおいといて、自分に置き換えてみると、確かにそういうときってあるよね。例えば分かりやすく言うと、話をしてた女の子が悲しい顔をしたとする。それは、別に例えば、瞼が下がってきたとか、眉が寄ってきたとか、そういう分析をいちいちしてるんじゃなくて、ぶっ飛ばして、あれ?なんで悲しそうなの?ってなる、多分、な?まぁ、昔の自分の体験からってのもそれもまた勘だと思うし、みんな、言葉で言ってくれないと分からないと思いつつも、でも、実は言葉で伝えなくても分かってもらえることが、コミュニケーションの約束みたいになってたりする。で、それができない人は、『空気が読めない』とか言われちゃうんだよね。

結局、『なんとなく』は『なんとなく』のままでも生活できるってこと。だって、みんなそうやって生きてるんだもん。たまたま、『なんとなく』って言葉を相手に言われると気になるけど、おいってそれ待て、俺もそういえば何となくだらけだよな…その分、考えて、例えばこれみたいに理由付けしたりしてるけどね。
そうか!だからこそ、学問になるんだ。
『なんとなく』が特別だからそれを研究する、つまり学問になる、そういう事じゃなくて、『なんとなく』は当たり前すぎて、実は誰も気付いてないから、それを考えることが学問になるのね。

そうかー。

(2000.11.02.6:12)